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今月の秀作と選評



 (2006年11月)

星野 清(新アララギ編集委員)


秀作



大橋 悦子

君の名に光の字ありわれの名に悦びありと君に伝えむ
心急き速達とせし君宛ての葉書に初めて名のみを記す


評)
両首、現代の相聞歌。思いの丈があふれている、その若い心を称えたい。
2首目。ずっと身近になったとの思いが籠る。結句の「名のみを署名す」は改悪。固い言葉を避けて前のままがよい。



新 緑

懸命に杖に縋れる我が前をステッキの人は颯爽と行く
麻痺の足を杖で支えて突風の治まるを待つ医院の軒に


評)
ひたすらに生きる己を伝えて、表現も的確。



小泉 誠

単身赴任はや十年余あと十年ガン病む妻を置きてはできぬ
涙せし我が醜態を詫びてより退職の意志低く告げたり


評)
ことの重さを受け止めて、作者の思いが伝わってくる。


佳作



栄 藤

六十年経てなほ昨夜の夢に来て敵機が機銃掃射浴びせぬ
徴用の暗き記憶の中になほ一際重き被爆の体験


評)
類例が多いと言われようとも、両首のような声を上げることは大切だろう。
2首目、上の句に工夫の余地がある。例えば3句を「数々に」とすれば「中になほ」が省けるなど。

草屋根は瓦に替はり知る人も少なくなりし古里の村
遺されし父の花壇の片隅に今朝朝顔の白ばかり咲く


評)
3首目、苦労した甲斐があった3、4句。
4首目のような情感を大事にしたい。



吉岡 健児

食ひ違ふ意見にむきになることもなくなりて呑むビールは甘い
悔恨を肴に呷るコップ酒赤提灯に蜉蝣群るる
倦まずなほ落とされし歌あらためて時雨るるなかをポストに向ふ
秋日さす野辺に薄の穂のひかり歩き遍路の鈴の音響く


評)
一連、手際よく歌われている。「手慣れた歌」とはほめ言葉とばかり言えない。歌らしさの殻を破り、いかにして己らしさを発揮するかが、力のある作者の課題ではあるまいか。



石 川

来る年の古希の記念に富士山へ共に登らんと子らの言いきぬ
妻病めば気の晴れぬらし隣家の主にいつも酒の匂えり
いかほどの助けになるか隣家の主の愚痴をしばし聞きおり


評)
日常のある一こまをすくい取って、表現も無理がない。



斎藤 茂

くちびるに紅をささむか死顔の安らかなるはわれにありがたし
線香のけむり絶やさず母の辺に有りし書き置きをまたひらき読む
母をおくるみ寺の庭の片隅に沙羅の木の花咲きてをりたり


評)
1首目の下の句、最終稿では「…をわれはありがたし」再三指摘のあったこの助詞が元に戻ってしまったのは残念。平凡なようだが、3首目が一番完成度が高い。



英 山

若きらは笑みつつ地酒を勧め来ぬフェスタに紛れし日本人われに
這ひ松の枝重なるを抜け出でて振り返り見る山なみ青し


評)
原作の「勧め来る」では以下につながる感じが残るので、このように文語でいったん終止するとずっとよくなる。
2首目は、早くからほぼまとまっていた。



けいこ

をさなごと手をつなぐのはあと幾年か朝陽を背なに影法師並ぶ


評)
心持ちの籠った歌になっている。



イルカ

仰ぎ見るいちょう並木の黄金色あまねく空を覆いつくせり


評)
歌はこのように、素直に写し取ることによりよい歌となる。


寸言


選歌後記

気づいたことの中から、例をあげて少し述べる。

○切れ切れとせず、なるべく一息で歌おう。
(1)いつしかに夕餉をつくるならいなり妻の帰りの遅きこの頃(石川)
3句の言い切り、結句の名詞の2か所で切れて、上下が分かれている。これを例えば、
・いつしかに夕餉をつくるならいなり妻の帰りのこの頃遅く
とでもすると、下の句が前にかかってくる。

○気持ちの解説をしても歌にならない。
(2)意を決し上司の前にて「退職」と切り出しし時感極まりぬ(小泉)
この結句が、自分の気持ちの解説に当たる。読み手は「ああそうですか」と受けるほかない。例えば、
・意を決し上司の前にて「退職」と切り出ししとき言葉詰まりぬ
のようにでも言えば、読み手は作者にもう少し近づける。

○言葉のつながりに留意して。
(3)倦まずなほ落とされし歌あらためて時雨るるなかをポストに向ふ(吉岡)
1、2句のつながりやや不具合。例えば、
・落とされし歌倦まずなほあらためて時雨るるなかをポストに向ふ
のようにすると、よりなめらかにいく。

○ことわりめいた表現を避ける
(4)君に会いにゆきたし今朝の鏡にはわが唇の紅く映りぬ(大橋)
3句の「鏡には」が殊更めく。例えば、
・君に会いにゆきたし今朝の手鏡にわが唇の紅く映りぬ
など、さまざまな工夫ができる。こうして、秀作に推そうかとも思ったが…。



                   星野 清(新アララギ編集委員)


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