作品投稿


今月の秀作と選評



 (2008年4月) < *印 新仮名遣い>

大井 力(新アララギ編集委員)


秀作



あきたげん

十六歳の君の産毛よお祭りの苺のシロップ提灯の列
酔いどれて君に掛けてはおらぬかとアドレス帳の番号を消す



評)
推察するに作者は団塊の世代か。そういう年代であろうほのかなる悔いと淡い感傷がいい。二首目など今を苦く受け止めていていい。今を詠むは即ち自己の内部の今を見つめること。



新 緑


リハビリのかなしき慣い杖にすがり日の差す庭を朝な夕なに



評)
連作から作者がリハビリを続けながら養鶏業をしているのがわかる。リハビリとは一種の行である。行とは乞食(こつじき)のこころのも通じていよう。かなしき慣いはいま少し抑制したほうがいいという意見もあろうがこれでいい。思いのよく伝わる歌。



吉井 秀雄


ボクサーの減量の時よりやつれたる友よ拳を交へし日々よ



評)
この歌にある「交へし」は作者もボクサーのなりわいをしていたのか。この歌は新鮮でいい。一連みなよく詠まれている。



荒堀 治雄


膠原病と動脈瘤に耐ふる妹に「うつ」病む気配見せてはならず



評)
本当のやさしさとは何か。考えさせる深さを持った歌で注目させられる。



山本 景天


薄紙に雛人形を娘が包み母に倣ひて箱に収めぬ



評)
人が忘れてはならないものがこの一首にはある。こうやって親が子に伝えてゆくものは尊い。そんなことが伝わる歌。



吉岡 健児


おしなべて老いと病を詠みし集されどひとつのいのち輝く



評)
古書店での嘱目を今月の一連はよく切り取っている。捉えている切り口が鋭敏。読まれなくて消費してゆく活字、また歌。そんな悲しみが底流にあるのであろう。恐らく二束三文で売られている集への目はあたたかい。



けいこ


夫ときて鳥の声する山畑にいぬのふぐりを腹這ひて撮る



評)
結句によって生きた歌。しあわせな雰囲気がほのかに漂う。あたたかい歌。だんだんあたたかさが失われてゆく中こういう歌もいい。


佳作



斎藤 茂


麻痺残るとためらふ君を誘ひ出しボックスルンバをやさしく踊る
ダンスの楽しさ教へて呉れし君なりきそのリハビリに手助けをせむ



評)
「ダンスの楽しさ」はいま少し「ダンスを通じて人間の根底にあるもの」を教わったことを凝縮して切り取ることが望ましい。だがこの一連にあるやさしさはよく伝わる。



はる


トラやブチ庭に来る猫変りたり子の進路ひとつを迷いいる間に
開く戸に動きを止めしトラ猫が顔のみ向けて息詰めるらし


評)
たかが猫の対象をよく結晶させている。僅かなときの間にも猫も代替わりをするのか、そんなことを感じさせてくれる歌。



英 山


コンクリートの川床縁取る土砂の上はや荒草のつらなり芽吹く



評)
丁寧にみているところがいい。ただ一連丁寧さの上になにかが不足していよう。何かとはなにか。自分をこの点景のなかに投影するという本質ではないか。それだと思う。



新 緑


暖房を落とししフロアのリハビリに汗にじみきぬ杖にすがるに


評)
リハビリの行にフロアをぐるぐる廻るのであろう。「汗がにじむ」この表現にてかなしみが抑えられている。これでいい。



山本 景天


父亡き後月に一度の検診に連れ出して母の話聞きゐる



評)
物語性にすこしもたれかかっていようか。この表現でこれは精一杯。やさしさがそのまま巧みなくでていい。



仲 山


階下より鈍い声聴く施設長遠いところの通勤早し



評)
段々歌が多くつくれるようになってゆく作者がわかる。巧まず世話をされるほうの感謝の思いがでている。一連を通じて感ずることである。



あきたげん


ひとり駅に残して来しが母となり穏やかならん子等を育てて



評)
俗になる一歩手前で切り取られている。一連の歌数を絞った作者の意図にちからを感ずる。



吉井 秀雄


大山(だいせん)の吹雪きて見えず首ばかり動かす友の吐く息を聞く



評)
連作の内容から重症の友であることは瞭然としている。3ー4句よく見ている。



荒堀 治雄


膠原病に追い討ちかけて妹の脳深部動脈瘤今日知らされぬ



評)
事柄がやや目立つところがすこし不満。こういう読後感を示された場合、さてどう作者は今後に生かすか。注目したい。



吉岡 健児


謹呈の自筆の栞挿まれし名も無き人の歌集購ふ



評)
栞が挿まれたままで読まれた形跡がないのか、読んであるのか?ここのところの正確さが今一歩欲しい一首。だがこのままでも通る。心を込めて贈られたものが売られている。これで充分ともいえる。



けいこ


友来たりてもぎこし檸檬を絞りたり庭に熟れたる丸きその実を



評)
もてなす思い、心待ちにしていた友が来てくれたよろこびが素直にでていていい。おそらくもがないで完熟させて友を待ったのであろう。


寸言


ひとりひとりの個性の引き出し方。(選歌後記雑感)

 このHPにどれだけの個性を持った作者を発掘出来たか自らに問いかけをして暗澹とした思いに駆られることがある。発掘などおこがましいとも思う。しかしこれは自らの啓発にも違いない。ならば言葉、文章の末節をいじるばかりで成就する訳がない。ここを俗学の場にしてはならない。本当の人間主義に徹した写生、写実を求めなければならない。
 加えて詠むものの対象の細部をも固めるということを忘れてもいけない。細部を丁寧に写すことは真実を見ることにも通う。デッサン、つまり一首、または一連の狙いを凝縮して絞ることと同じ意義なのである。


              平成20年3月25日
              大井 力(新アララギ編集委員)


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