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今月の秀作と選評



 (2009年4月) < *印 新仮名遣い>

大井 力(新アララギ選者・編集委員)


秀作



まりも

味噌駄菓子並べてひさぎゐし店の閉ぢてふるさとに人影のなし



評)
この月に一連は父母の墓参のものであるが、その折のふるさとの変貌ぶりがよく表現されている。なにか物悲しい景が読むものにも響く。説得力のある歌。



山本 景天


嫁ぎゆく娘の買ひ物に付き合へり誂へし揃ひのジーンズ穿きて



評)
娘を嫁がせる寂しさが底流にあって喜びと同時に襲うのであろう。複雑な思いが一首に結晶している。



金子 武次郎 *


常日頃自らを野人と言いし父思うが儘に生きし一世(ひとよ)か



評)
父を回想して、作者の齢もまた近づくのであろうか。野人といってはばからなかった父、顧みてみる思いは懐かしく、もの悲しい。



けいこ


いづこから来し芥子菜かいま黄なる花群となり梅の木覆ふ



評)
どこから来たか不明の芥子菜がいつか種を落として年々増える。そのしたたかさにこころを動かす作者。技巧をこらさない作でいい歌。



新 緑 *


玄関に倒れしという麻痺の友に倒れて見せて立つ術教う



評)
下の句により、状況がいきいきと伝わる。いい歌だ。麻痺の身を嘆くことなく、淡々と事実をのべたことが強い。



太 田


自家野菜の露店出す老人は声太くいふ「兵隊の年金など下ろしちまつたよ」



評)
会話の内容を投げ出したような作だが、作者とのやりとりが目に浮かぶ。事実の強さだけで歌が構成されているがこれも無技巧のよさであろう。



吉井 秀雄


日の暮れにテント張り終へ仰ぎをり赤岳の隣り星の瞬く



評)
単独行にて山に挑む作者のこころ揺らぎが底流にあるのか。下の句は情緒豊かである。感性のいい歌である。



勝村 幸生


三十年住みて初めて気づきたり玄関に仰ぐ薄白き月



評)
いまになって気付く白い月、おそらく冬の月であろう。淡いこころ動きであるが、叙情性ゆたかに把握されているのがいい。



松 本


湯中りの妻の脈拍確かめて手首を探る探れど触れず



評)
下の句は抜き差しならない緊迫感がでている。こういう緊張感を歌にするのは手馴れてないと難しい。しかしよく纏まった。



市 村


風よ風わが頬を打てこの山の今この時に在す証に



評)
内観性に高い詠み口である。「在す」はどう理解させたいのか。天の神よその存在を示す風をもって吾が頬をうてというのか私はそう理解した。


佳作



新 緑 *


杖突きて自販機探す我を見し女性は手に持つ温き茶呉れぬ



評)
温かい気持ちの溢れる歌。こういう歌は心地よい。なんの技巧もない。世の中捨てたもんじゃないという気がしみじみとする。 



山本 景天


里帰りしたる娘が本を手にたどたどと作る浅蜊のボンゴレ



評)
秀逸でもいい作。ほのぼのとまた寂しいのか。思いの溢れる歌である。



まりも


父の土葬を見守り囲む村人に交じりて立ちき十二の吾の



評)
墓参の歌は難しい。しかしこの作は悲しみの極みの回想がよみがえるのが分かる。それだけで作者の狙いは十分である。



金子 武次郎 *


ひたすらに働き続け五十年今は呼ばるる後期高齢



評)
よく思いのわかる作。結句の名詞止めも効いている。ほのかな嘆きがしっとりと詠われていい。



けいこ


降り続く雨上がりたり木蓮の蕾にはかに白く浮き立つ



評)
自然の変化がよく見つめられている。平凡なように見えてよくみていることが強みになっていよう。



吉井 秀雄


向かひ合ふ岩尾根ゆくは幾たりか逆光の中手を振り合ひぬ



評)
遠く隔たる岩尾根をゆくひとと手を振り合う、全く無縁の山に行き逢うひとであろう。情景がくっきりと浮かぶ、印象の深い作になった。



太 田


わがあとを歩みてホームの端に来し鶺鴒翔つかと呼吸(いき)を止めたり



評)
瞬間のことを詠むのは難しいが、この作はその呼吸を思わずとめる動作まで目に浮かぶ。



勝村 幸生


「お先に」と待合室を去りて行く老婦人の醸す温もり



評)
願わくば「温もり」まで表現せずに一首としたいが、作者はそれがいいたい。これをどう凌ぐかであろう。



松 本


体力の衰へをつい口にして妻の心を悲しませたり



評)
よく理解できる作。一連の歌を読むとまた思いが深くなる。



市 村


うつしみはきのふも今日もあかるくて犬がしきりに鳴いてゐる秋



評)
不思議な感覚の歌。まあこれでいまはいい。こういう雰囲気だけで勝負できず飽きる時期がくる。早く気がつくべきである。


寸言


選歌後記

影は光よりも大きい力を持っているのかともふっと思うときがある。ものを表現する際考えてみるべきことかも知れない。ひとは大切なものをすぐ忘れる。影だろうが光だろうが、書きとどめておくべきである。詠い続けることはそういう作業である。作品の完成度はいいに越したことはない。しかし完成に対する努力度のほうが大切なのではあるまいか。歌には根よく、あくまでも根よくが求められている。

             大井 力(新アララギ編集委員)



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