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○
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佐藤 和佳子 |
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地下鉄の長いホームを渡りきる歩く力の蘇りしか |
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評)
地下鉄のホームは実に長い。特に東京などでは複雑に交叉している駅が多く、下手をすると1kmくらい歩かされたりする。そのホームを渡り切り、歩く力の蘇ったという喜びの歌。結びは「・・・しか」よりも「・・たり」と言った方がベター。他の作も端的でよい。 |
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○
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松 本
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われの名を呼び捨てにしてくれし人母を最後にことごとく逝く |
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評)
自分の名を呼び捨てにしてくれた人が、母をさいごに皆いなくなったと、人生の寂しさ表現して共感をさそう。深田久弥が急逝した折に親友であった柴生田稔先生が全く同趣の挽歌を作っている。 |
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○
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太 田
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人文字の新聞広告に九条守るわれも一人と名前捜しぬ
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評)
かっては私の属していた組合(都立高校教祖)でも年一度浄財をつのって、新聞に意見広告を出したものである。この作によって、今でもそうした試みが行われているのを知り、うれしく思った。作者がその運動を担う何千分の一、何万分の一の力を果たしていると自分に引きつた点がよい。 |
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○
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市 村
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春の山に嵐の吹きて樟がゆれ樫がゆれ帽子も飛びぬ
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評)
春の嵐によつて「樟」や「樫」がゆれ、さいごに「帽子」が飛んだと活き活きとたたみ込んだのが印象的。他の作もカンどころを押さえた達者な詠みぶりだ。 |
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○
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まりも
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たいせつに冬を囲ひし小海老草花の重みに茎を撓らす
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評)
大事に育てた「小海老草」(実体を知らぬがこれでよい)が眼前に花の重さで茎をしならせていると、しっとりと表現している。他の歌よりもこの作に最もひかれる。 |
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○
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新 緑
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庭の松に積もるる雪を楽しめり麻痺病むわれは温き部屋より
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評)
この歌には内容がある。但し「積もるる」という語法はない。
「積もりし」とし、また「楽しみぬ」と整える必要はある。
しかし、何と言っても歌は内容が良いのが良い。その意味で
いつも新緑さんの歌は光る。 |
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