作品投稿


今月の秀作と選評



 (2009年8月) < *印 新仮名遣い>

倉林 美千子(新アララギ編集委員・選者)


秀作



まりも


二期続き赤字決算出だししを社長たる夫に緊迫感なし
またしても給料下げて乗り切れと会計士の案呑まざるを得ず


評)
難しい問題と真正面から取り組んで、よく努力しましたね。実際のご自分の生活が歌の素材でありますが、また一方で、のっぴきならぬ不況のなかに苦闘する社会そのものを映し出しているともいえます。
はじめは夫への不満を叩きつけるような感情過多でしたが、表現を工夫するうち次第に客観性(自分をみる目に)が強まり、同時に「詩」を感じさせるようになりました。特に二首目には事実をそのまま言っただけのようで、哀感が滲んでいます。



佐藤 和佳子 *


大輪のひまわり心に描きつつ伸び悩んでる苗を見つめる
再発は絶対ないと君は言う五年生存のその時遠し


評)
私は初めてお会いするのでしょうか?「おほみづ」の歌も「レタス」の歌もそこはかとない良さがありますが、貴女にとって重用な真情はやはり「五年生存」のその時を待つ現実でしょうね。この歌が他の歌の淡い面を補って引っ張っているように思います。「伸び悩んでる苗」に対する気持も、その下敷きをもってみると読者は深く納得します。
どんどん作ってください。そのうち一首一首が強く独立するようになります。



金子 武次郎 *


戦災後の復興願い植えしという欅並木の今伐られゆく(第二次世界大戦)
半坪に満たぬ畑に妻の作るさやえんどう伸ぶ十センチほど


評)
歌作者に最も大事なのは言葉に敏感になること。だから助詞ひとつに苦しみます。
初めの歌は、語の順序を変えました。現在見ているのは欅並木が伐られてゆくという事実でしょう。歌は下の句に最も訴えたいことを置くのが効果的です。それから歌の調子ということ、これも大事です。それで「六十年前」を省きました。今の人なら省いたままで判りますが、後世のため詞書きとして( )内に入れたらどうでしょうか。この歌には内容があります。むしろ「開戦の責」云々の歌よりも。
二首目はささやかな幸せが気持ちよく感じ取れます。



紅 葉


風邪薬のんででかけるラッシュアワーあの緩行線に乗り換えたいな
うとうととする間に雨の上がりたり特急「ひたち」は麦の穂の中


評)
一首目「朝は」を「ラッシュアワー」にしてみました。こういうことなのでしょう?結句が切実。口語調がよく活きています。それにしても、初稿がこんなに良くなるとは!初稿出します。
眠くなる風邪薬のみて出かける朝の悲しきたちんぼうかな
三稿に至って、はじめてご自分で下の句の表現に辿りついたのね。やってみるものですね。青木さんの助言も活きました。二首目「特急ひたち」で座れたのかな。結句は「そば」では少し落ち着かない、真ん中にいるのではないにしても「中」が良いでしょう。
貴方の歌は少々リズム感がない。意味も一人でわかっているようなところがある。でも最終稿の二首は特に進歩がありました。



吉井 秀雄


つかの間をヘッドライトに浮かび来て花満つる桜闇に消え去る
施設へと移りし春より慈眼寺の枝垂桜を祖母は語らず


評)
多分に感覚的なものを持った作者。一首目はヘッドライトに浮かびあがった一瞬の桜を捕えて詩情があります。二首目は祖母の心を推し量って哀れ。「あなしょうしょうと雨は冷たし」はその詩情にいささか自己陶酔の感。



佳作



勝村 幸生


入籍し半年の後に式挙ぐる若きふたりに我は戸惑ふ



評)
キリスト教とは縁がないのに教会で結婚式を挙げる、戦後のはやりなのでしょね。入籍して半年後に式を挙げる、こんなことに驚いているのはもう古いんでしょうか。「サラダ記念日」の歌人はシングルマザーを公言しているのですから。
さて素朴な疑問を投げかけて、戸惑いながらも祝福している作者がみえるような一連でした。



けいこ


降り続く緑の庭を眺めつつひと日をけふはパソコンに向かふ



評)
最後に私を思い出してくださってありがとう。一人の助言の方が推敲し易いとのこと、私もそう思っています。質問でもあれば答えますが。
五首とも、ある水準に達した作と思います。ちょっと詰めが甘いのです。例えば「しずくを垂らす」より「しずくを落とす」の方が語感が良いし、「過酷な」では観念的だしといった風に。掲出の歌は完全です。大声をあげないけれど良い歌です。



新 緑


麻痺の足すぐには歩けず駅二つ前にて立ちて足踏みをする



評)
どれも事実に付いて一所懸命歌っておられ、気持も判るのですが理が勝ってまだ詩にまで及ばないといった感じがします。リハビリに行く歌、一般の読者には「河内小阪」は不要と思うのです。
そのゆとりに「駅員さんの介助のありて今日もまた電車乗り継ぎリハビリに行く」とすれば歌がのびのびとし、感謝の気持も喜びも強く出ます。もう少し肩の力を抜いてごらんなさい。
掲出の歌は「手前」の「手」を省きましたが実感があります。私も膝が痛かった時、同じようにウオーミングアップしてました。



太 田


横の面より正面の顔へとめぐるとき不敵にゆがむ阿修羅の表情



評)
優れた芸術を鑑賞する歌は難しいものです。どれも「その通り」と同意できますが、これが一番貴方の個性が出ている、つまり貴方の特別な見方、貴方の芸術になっているかと思います。
「阿修羅無言のままに」とありますが、無言は当然でしょう。しっかり見て写し取っても、どうしても阿修羅そのものには及びません。そこのところが難しいと言われる所以です。
しかし、恐れず挑戦したことは立派でした。こういう素材に向かうときは、あくまで自分だけの見方を主張することです。



市 村


六十余冊の実験ノートを定年後我は焼きたり未練を断ちて
枇杷の実は黄に熟れゆきてやうやくに慣れるか定年後の生活に


評)
たまりたる六十三冊の実験ノート我は焼きたり未練を絶ちて
なんでそんなにしてまで未練を絶たねばならないかが、一寸不明でした。次の歌を読んで、あ、お仕事に関わるノートだったかと判りました。それで一首に独立性を持たせるため「たまりたる」を省き「定年後」を入れてみたのです。二首目も初句を省きました。この二首は貴方の人生の一つの区切りとして、ぜひ残しておきたい大切なものですね。



松 本


腰曲げて杖つき歩むこの道にタンポポは咲く黄にかがやきて



評)
これが淡々とした味わいの一首になりました。その意味では、「追い風」の歌も「「毎日の炊事」の歌も、同じレベルに達していると思います。
「短歌ノート」の作が最も個性の強いものになりそうだったけれど、今回はまだ未完成のようです。



はづき生


雑然とせし食卓の一隅を吾が場所として其処に飯(いひ)食ふ



評)
18日に提出して20日22時53分の最終稿にこぎつけました。そこはかとない寂しい日常生活のよく出た歌になりました。初稿と比べてみましょう。
雑然としし食卓に隙間ありて然るに其処に吾は飯食ふ
上の句は助言に従ったものの、下の句はご自分の意思で推敲が行われました。そこが大切なところです。歌を作る苦しみと楽しさの初体験でしたね。一首だったけれど、こんなに良い作品を得たのですから。続けてくださいね。
初句は「雑然としたる」より「雑然とせし」が良いかと思います。「す」はサ変動詞で「せ・し・す・する・すれ・せよ」と活用するので「しし」とはなりません。


寸言


選後に
 
お一人一人に詳しく書きましたので、ここで多くは申しません。
 初めの頃と比べると格段の相違です。このHPでは何方の作も良くなりました。
 投稿者も助言者も本気で取り組んでいるからでしょう。

        倉林 美千子(新アララギ編集委員・選者)



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