佳作 |
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○
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勝村 幸生
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入籍し半年の後に式挙ぐる若きふたりに我は戸惑ふ
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評)
キリスト教とは縁がないのに教会で結婚式を挙げる、戦後のはやりなのでしょね。入籍して半年後に式を挙げる、こんなことに驚いているのはもう古いんでしょうか。「サラダ記念日」の歌人はシングルマザーを公言しているのですから。
さて素朴な疑問を投げかけて、戸惑いながらも祝福している作者がみえるような一連でした。 |
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○
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けいこ
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降り続く緑の庭を眺めつつひと日をけふはパソコンに向かふ
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評)
最後に私を思い出してくださってありがとう。一人の助言の方が推敲し易いとのこと、私もそう思っています。質問でもあれば答えますが。
五首とも、ある水準に達した作と思います。ちょっと詰めが甘いのです。例えば「しずくを垂らす」より「しずくを落とす」の方が語感が良いし、「過酷な」では観念的だしといった風に。掲出の歌は完全です。大声をあげないけれど良い歌です。 |
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○
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新 緑
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麻痺の足すぐには歩けず駅二つ前にて立ちて足踏みをする
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評)
どれも事実に付いて一所懸命歌っておられ、気持も判るのですが理が勝ってまだ詩にまで及ばないといった感じがします。リハビリに行く歌、一般の読者には「河内小阪」は不要と思うのです。
そのゆとりに「駅員さんの介助のありて今日もまた電車乗り継ぎリハビリに行く」とすれば歌がのびのびとし、感謝の気持も喜びも強く出ます。もう少し肩の力を抜いてごらんなさい。
掲出の歌は「手前」の「手」を省きましたが実感があります。私も膝が痛かった時、同じようにウオーミングアップしてました。 |
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○
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太 田
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横の面より正面の顔へとめぐるとき不敵にゆがむ阿修羅の表情
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評)
優れた芸術を鑑賞する歌は難しいものです。どれも「その通り」と同意できますが、これが一番貴方の個性が出ている、つまり貴方の特別な見方、貴方の芸術になっているかと思います。
「阿修羅無言のままに」とありますが、無言は当然でしょう。しっかり見て写し取っても、どうしても阿修羅そのものには及びません。そこのところが難しいと言われる所以です。
しかし、恐れず挑戦したことは立派でした。こういう素材に向かうときは、あくまで自分だけの見方を主張することです。 |
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○
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市 村
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六十余冊の実験ノートを定年後我は焼きたり未練を断ちて
枇杷の実は黄に熟れゆきてやうやくに慣れるか定年後の生活に |
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評)
たまりたる六十三冊の実験ノート我は焼きたり未練を絶ちて
なんでそんなにしてまで未練を絶たねばならないかが、一寸不明でした。次の歌を読んで、あ、お仕事に関わるノートだったかと判りました。それで一首に独立性を持たせるため「たまりたる」を省き「定年後」を入れてみたのです。二首目も初句を省きました。この二首は貴方の人生の一つの区切りとして、ぜひ残しておきたい大切なものですね。 |
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○
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松 本
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腰曲げて杖つき歩むこの道にタンポポは咲く黄にかがやきて
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評)
これが淡々とした味わいの一首になりました。その意味では、「追い風」の歌も「「毎日の炊事」の歌も、同じレベルに達していると思います。
「短歌ノート」の作が最も個性の強いものになりそうだったけれど、今回はまだ未完成のようです。 |
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○
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はづき生
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雑然とせし食卓の一隅を吾が場所として其処に飯(いひ)食ふ
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評)
18日に提出して20日22時53分の最終稿にこぎつけました。そこはかとない寂しい日常生活のよく出た歌になりました。初稿と比べてみましょう。
雑然としし食卓に隙間ありて然るに其処に吾は飯食ふ
上の句は助言に従ったものの、下の句はご自分の意思で推敲が行われました。そこが大切なところです。歌を作る苦しみと楽しさの初体験でしたね。一首だったけれど、こんなに良い作品を得たのですから。続けてくださいね。
初句は「雑然としたる」より「雑然とせし」が良いかと思います。「す」はサ変動詞で「せ・し・す・する・すれ・せよ」と活用するので「しし」とはなりません。 |
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