作品投稿


今月の秀作と選評



 (2009年10月) < *印 新仮名遣い>

大井 力(新アララギ編集委員・選者)


秀作



うてな


立葵を父の墓標と少女期にひとり決めたる八月三日



評)
父君の墓標は別にあるのだろうが、作者は立葵をひとり決めしているのであろう。叙情性の豊かな作である。懐かしくまたうら悲しい思い出を誘う花、立葵がまた今年も咲き登ってゆく。いい歌だ。



まりも


わが病背負ひて替はりくれたるか枯れし木瓜の根のなほ掴む土



評)
枯れてもまだ土を掴む土、その執着するさまに作者は身替りになってくれたものより、おのれ自身をそこに見ているのであろう。



佐藤 和佳子 *


温かく迎え給いし人々の伊予の訛りに心ほぐれぬ



評)
前月だったか作者の歌に「再発は絶対ないと君は言う五年生存のその時遠し」という作があった。そして今月の一連ではまた活動を再開されての伊予の訪問であろう。「こころほぐれぬ」がそこに根ざすものなのである。



吉井 秀雄


人拒み草まばらなる火口壁に黒豆の木の花はくれなゐ



評)
硫気の満ちた火口壁の真紅の黒豆の花。作者の見ているものは花のいのちそものであろう。いい歌だ。



はづき生


入れ歯せし母にあはせて枝豆はやはらかく茹でむ背がひらくまで



評)
莢の背がひらくまでという事実、これでいきいきとした。なお原作の「あわせて」は「あはせて」と変更した。



金子 武次郎 *


第二芸術と論じ合いたる日も在りき六十年経て詠い始めぬ



評)
戦後の回想の歌もいいが、この歌が成るまでの執着がいい。六十年前の議論を実作の場にいま立って熱く振り返っている。いま青春の輝きを取り戻している。ときめきの傳わる歌。


佳作



けいこ


君と語りしゆふべの思ひ残りゐて朝の真白きうろこ雲みる



評)
秀逸でもいいレベル。清新な感じがとても心地良い。何を語ったかなどという余計なことを言っていない。そして余情がある。



勝村 幸生


虫送りの列ゆるゆると笛の音聞こえてゐたり遠き稲田に



評)
いまも虫送りの行事をするのか、恐らく回想であろうが、懐かしくも甘くかなしい記憶である。「ゆるゆる」は列にかかるのであろう。なお原作の「聞こへて」は「聞こえて」である。



新 緑 *


歌いつつ追い越してゆく若者が杖突く吾に声かけくれぬ



評)
これも秀逸でもいいレベル。麻痺の残る身を嘆く作者の歌も月ごとに変ってゆく。声を掛けられたというだけで心が和むのである。この声もどういう内容か言っていないから想像が膨らむ。



紅 葉


「大盛り」の声伝はらずをばさんに手真似して頼む昼の定食



評)
この歌以外にも働き盛りの躍動感が実にいい。結句でいきいきとした。



太 田


多摩川に鮎戻るといふ今朝のニュース聞いて雨上がる街あゆみゆく



評)
鮎が戻ったというそれだけで、こころが明るむ。読者にもここころ躍りを与えてくれる。なお結句「踏みゆく」とあったが少し違和感があるので、上記として扱った。また「聞いて」は「聞きて」とすべきだが、あえて原作どおりとした。


寸言


選歌後記

 今月の選歌を終わって、一つの思いは安心、やっぱり本物の歌に挑戦してくれる人はまだいる、という思いであった。そこで更に投稿される方々に望みたいのは、歌に向う思いをもう一度基本に立ち返って考えて貰いたいということであった。
 それは「こころのままの歌を目指す」「体全体で詠うということ」「歌は一種の孤独を深めてゆく作業である」思いつくままに記してみた。

          大井 力(新アララギ編集委員・選者)



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