作品投稿


今月の秀作と選評



 (2009年12月) < *印 新仮名遣い>

星野 清(新アララギ編集委員)


秀作



うてな


つぎつぎと川に飛び込む少年の前世は鳥かフォルム美し



評)
4句までを見て、作者の捉えたものが的確に表現されていて素晴らしいと思った。そこで、結句についての提案をかつてした次第だった。このようなすぐれた言葉遣いのできる作者の他の歌が、まとまりなく終ってしまったことが何とも不思議でならない。頑張って力を伸ばしてほしい。



吉井 秀雄


百万にひとりとのクロイツフェルト・ヤコブ病母を蝕みゐるといふのか



評)
上の句の表現を生かして、中途半端な言い差しの下の句に手を加えて秀作とした。



太 田


湯気けむる伊予の湯殿の古壁に「坊つちやん泳ぐべからず」とあり



評)
道後の例の『坊つちやん』にちなんだ歌。旅での見聞としてよくまとめられている。



まりも


忙しく働く親を気遣ふか悠栞は保育所が大好きと言ふ
恐るおそる入門乞ひし水墨画も生を写せと師匠は言へり



評)
両首それぞれに助言を生かして、作者の思いがよく汲み取れる歌となった。



福田 正弘


緑濃く伸ぶる小松菜初めての霜を被りて日に輝けり
群れ立ちて飛ぶ白蝶の黄に染まるまでに輝く背高泡立


評)
ここに来るまでの努力を称えて秀作とした。


佳作



金子 武次郎


再びは行くことなけむ尾瀬ヶ原友との写真出しては見入る
笹分けて金精峠にたどり着き眼下の沼に息をこらしき
「他人(ひと)の歌が分かるようになりました」友のメールにわれを省みぬ


評)
それぞれしっかりとした歌ではあるが、思い出に関わるものはどうしても弱いものになりがちだ。着実な表現力を生かして、さまざまなものに挑戦していただきたい。



新 緑


ガリ版で我らが出した新聞を講師は高く掲げて語る
この電車に優先席はなけれども麻痺のわれ見て親子が立ちぬ
意識無く眠り続ける義兄(あに)の手が僅かに上がれば握りしめたり
車椅子提げて階段降りくれぬ駅の職員四人がかりで


評)
それぞれの歌の核がしっかりしてきてよい歌になってきた。なお、「話す」と「語る」の違いは辞書にて確認されたい。



昭 彦


山の辺の道のほとりの柿の実の色つややかに風に晒さる
日の差せる稲田の藁に去年に見し初瀬の冬の牡丹を思ふ


評)
原作の「道に溢るる柿…」では如何にも不自然なので書き替えてみた。両首おとなしいが味わいを湛えている。



吉井 秀雄


里よりの電話夜毎にかかり来て母の病を案ずる妻は
意識薄れゆくかと見しに声をたて母泣きたりと妻は涙す


評)
一連は、作者にとって特別な内容の歌で存在感があった。2首目は、例えばこんな言い方ができるという提案。



太 田


子規居士の生れし伊予に向かはむと瀬戸内走る「しおかぜ」に乗る
瀬戸大橋を渡りて見下ろす内海の波凪ぐなかに青き島々


評)
この一連、改稿を繰り返し磨かれてよい歌になってきた。



紅 葉


今日限りけがの心配なくなりぬ子のアメフトの試合終はれり
足裏で水底探り知行浜に秋の陽浴みてアサリとりたり


評)
アメフトの子の歌は特色のある内容で、よりよい歌ができる可能性があり惜しいと思った。



けいこ


取るものもとりあえず子の元に行くインフルエンザに休園の報に
インフルエンザ流行(はや)りて人なき公園にわが孫一人雲梯をせり


評)
2首目は、例えばこんな言い方ができるとの提案。



勝村 幸生


ギターの曲「アルハンブラの思い出」に水に映えゐし宮殿思ほゆ



評)
無駄な言葉をできるだけ省いて、例えばこんなように言えば、読者は作者の心に近づくことができよう。



福田 正弘


轟けるヘリコプターの編隊に彼の戦争の記憶立ち来も



評)
まことにその通りではあるものの、戦争の記憶がよみがえってくるというだけでは、余りにも一般的ということになる。


寸言


選歌後記

◎この歌に込めたいものは何なのか

・「この上の句が生きるように下の句を工夫して…」とか、「4句を読み手に分かるように…」などの提言を折々にしてきた。が、指摘されているところを工夫せずに、他の部分までころころと変わってしまう例が今回幾つもあった。「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」とのことわざはあるが、見当違いのことを幾らやっても意味はない。照準を合わせるための修正のヒントが示されたのに、そこを無視してのやり直しでは意味がない。もっとも、その意味が分からなければそれまでではあるが…。

・本当に歌いたいものは何なのか、この歌に込めたいものは何なのか、充分に吟味してほしい。推敲の過程で、次第にそれが見えてくることもよくあることだ。歌に込めたいものを意識せずに言葉をいくらいじってみても、決してよい歌にはならない。

・ここに掲げた作品には、最終稿に評者の手の入ったものが少なくない。1字や2字の書き換えなどは断っていないので、作者は注意深く原作との比較をして受けとめてほしい。

              星野 清(新アララギ編集委員)



バックナンバー