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今月の秀作と選評



 (2010年3月) < *印 現代仮名遣い>

小谷 稔(新アララギ選者・編集委員)


秀作



太 田


日常が脆くも戦ひに呑まれゆく手紙つづりし逝きし学徒は



評)
戦没学徒の手記「きけわだつみの声」を読んでの作。有名な手紙なのでこれまでもよく詠まれてきたが「日常が脆くも戦ひに呑まれゆく」という把握に作者独自の把握がある。日常と戦争という非日常に呑みこまれてしまうところに正常な理性を殺す戦争の恐怖がある。



吉井 秀雄


石仏を背負ひてこの峰登りしかその抱きたる願ひとはなに



評)
故郷の山に登った作。機械のなかった昔に人が背に負って運び上げたその体力もさることながらそこまでの行動をやりとげた信仰と願いの切実さに作者は驚いている。苦しみに耐えて生き抜いた郷土の先人によせる重い故郷詠である。



長 閑


出生の届け用紙に幾たびも名を書きこの子のパパになりゆく



評)
作者にとつては孫の誕生である。はじめて子を得た若い父親が出生届に何度も名を書いている様を捉えた。若いパパが最初の命名で願いをこめ喜びまた緊張している様子が実によく把握されている。そしてそういう過程を経つつ本当の「パパ」になっていくとは言い得てみごと。



金子 武次郎


「送金が遅れます」との亡き母の六十年前のはがき出できぬ



評)
六十年前とは作者は学生である。亡き母の筆跡ならばなんでも尊いものであるが単にはがきが出たというよりも「送金が遅れます」という内容を端的に具体的に捉えることによって学資を調える母の苦労が熱く偲ばれる。学生の頃の仕送りにまつわる「ドラマ」を私にも思い出させてしんみりとなる。


佳作



福田 正弘


わが妻の癌の検査を待ちながら歌集を読めりこころ鎮めむ



評)
妻の癌検査の付添いである。本人は次々に医療行為を受けるので不安ながらも当面のことに追われるがじっとして待つだけの付添いは不安が大きい。新聞や週刊誌でなく歌集を読んで心を静めるというのが作者のまじめな緊張を感じさせる。



勝村 幸生


行司らの古式床しき出で立ちも時に思へりピエロに似たると



評)
大相撲の行司の古式ゆかしい身のこなしは厳粛という形容が普通であるがまた冷静に客観するとピエロに似ているとも言えよう。厳粛と滑稽は紙一重というがそんな微妙なところを衝いている。



紅 葉


やうやうに広島過ぎて陽は昇り刈田に霜の白き村あり



評)
新幹線の窓からみた叙景である。昇ったばかりの朝日にいちめんに刈田の霜が白く輝く。下句の簡潔ですっきりした鮮明な把握が印象的である。



けいこ


時置かず重ねてうから失ひし君の傷みの傍に居りたし



評)
親しい友人にかかわる不幸についての思いである。上句ははじめからこのように簡潔にまとまっていた。下句でいろいろ苦労したがこれでしっくりと作者の気持ちに添う表現になったのではないか。



石川 順一


残り物おでんを食べて図書館へ歩いて行けば詩文庫7冊



評)
「 残り物おでんを食べて」と知的な「図書館」や「詩文庫」との取り合わせが意外性があっておもしろい。しゃれた料理でなく庶民的なおでんという素朴な生活感によって生きた作である。


寸言


今回はアシスタントの小田利文さんが業務超多忙のためにお相手ができませんでした。私も歌に関する仕事に追われていますので余裕をもって対応することができませんでした。
「先人の歌」のところに正岡子規の歌の「進歩」について書いていますので見てください。

         小谷 稔(新アララギ選者・編集委員)



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