作品投稿


今月の秀作と選評



 (2010年5月) < *印 現代仮名遣い>

内田 弘(新アララギ会員)


秀作



勝村 幸生


兵馬俑力漲る兵士らは何守りゐる二千年経てなほ



評)
手際良く纏めた。兵馬俑を漫然と見て詠わずに二千年の歴史の経過に思いを致したところが優れている。



福田 正弘


内線の電話鳴らして二階なる妻を起こすが習いとなりぬ



評)
これも現実である。病む妻に内線で起床を促す。哀感が漂う。事実をそのまま詠んだようだが、それゆえに深いものが籠る結果となった。現代を詠うこと、現実を詠うことは厳しい内容を詠うことにもなるのだ。



まりも


一歳を過ぎて歩まぬ子を抱く頬のやつれのしるき息子が



評)
孫を、息子を作者は見ている事しかできない。しかし、胸に迫るものがあるのだ。冷静に、客観的に詠って却って気持が籠った歌になった。



金子 武次郎


塾通い断固拒否するわが孫はかばんを置くや飛び出し行きぬ



評)
現代の子どもの様子が生き生きと詠われている。場面が目に浮かぶようだ。具体的に詠われているからだ。「断固拒否する」が大胆で面白い。



おれんじビール


丈長きコートに深く身を包み寒の戻りに苛立ち歩む



評)
ちょっとした心の動きを手際よく纏めた点を評価して秀作とする。但し、結句はきちんと「歩む」と終始させることを条件にする。


佳作



紅 葉


夕暮れの冷たき雨に濡れしまま子の合格のメール待ちたり



評)
素直な歌。何の衒いもなく、子どもの合格を待つ親の一途な気持がそのまま歌になった。こういう歌が実は大切なのである。気持をストレートに詠うことは歌の原点でもある。



長 閑


吹き荒ぶ春の嵐を思いつつ堅く閉ざせる僧堂に坐す



評)
推敲の跡が歴然とした。詠いたいことを整理して、一気に詠う事が肝要である。その意味で、この歌は頑張って端正な歌となり、引き締まった。



けいこ


病む夫の10年前に伐りこみし桜はこの春蘇り来ぬ
われ一人を未婚で産みて育てこしわが母女医の任務終へ逝きたり



評)
この作者、達者な詠み振りで、秀作に上げてもよいが、もっと単純化してほしい面がある。優れているので佳作に二首を挙げた。二首目の方が内容は重いが「任務終へ」は言わない方が良かった。一首目は纏まりは抜群だが淡いのだ。来月の作品に期待する。



石川 順一


ミステリー劇場見ればわが推理内部犯行説に傾きて行く



評)
この作者の投稿歌は、なかなか詠いたいことをストレートに表現出来ずに苦労していたが、何とか最終稿で纏まった。この歌は面白い処を詠っている。軽いタッチなのだが、あまり詠われていない処に着目した事を評価したい。



吉井 秀雄


まどろみをひよ鳥の声に破られて見上げる空の雲は薔薇色



評)
「破られて」は多少気になるが、感じの出ている歌で佳作とした。結句の体言止めは成功している。こういうことは誰にでもありそうだが、注意して居て初めて歌に出来ることでもある。


寸言


選歌後記

今月の歌を見て、まず作者が詠いたいことの整理がつかず、取り敢えず、三十一文字に纏める、というような作品が多かった。まず、詠いたいことをしつかり見定めること、この事が肝要である。その上で、どう表現するのかが決まる。表現が先にあって、内容が後で付いてくるわけではないことを考えてほしい。
そして、どう表現すれば、一番言いたいことを伝えることが出来るのかの点検が始まるのだと思う。推敲をすることで、見違えるように言いたいこと、訴えたいことが明確になってきた作品があった。それは、他者の目を通すことで、自分の気がつかなかったことへ目を向けることが出来た結果である。つまり、再度、投稿することで、作品を、より客観的に見ることが出来ると言うことである。その意味で、推敲とは、自分を見直すということに他ならない。

           内田 弘(新アララギ会員)



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