作品投稿


今月の秀作と選評



 (2010年11月) < *印 現代仮名遣い>

内田 弘(新アララギ会員)


秀作



岡久 夏子 *


大きなる窓を開けたる暁に指の先より染まる群青



評)
「指の先より染まる」が斬新だ。少し無理かなあ、と思う表現でも敢えて挑戦する事も時には歌境を拡大する意味でもやる価値がある。その意味で、秀作とした。この作者なかなか良いものを持っている。是非今後も続けて欲しい。



百 花 *


空高く投げたボールが落ち来ればサーブ打つ間の心の真空


評)
「心の真空」は多少熟さない表現とも思ったが、この歌も、新しい表現への接近として評価した。この作者もなかなか清新なものを持っている。今後とも続けて欲しい一人だ。



まりも


二メートルの距離置き吾を見返しつつ刈田の鶺鴒動くともせず


評)
鶺鴒が、自分と距離を置いて見詰めている、という所が見どころである。結句の「動くともせず」で一首が引き締まった表現になったところも評価したい。どしどし遠慮せずに詠い込んでほしい作者である。



安 藤 *


出張で君が遠くにいる日には吐息つきつつ透明になる


評)
この歌も「透明になる」が必ずしも多くの人に受け入れられないかもしれないが、個性的な把握であることには違いない。歌は、時には大胆に思い切って、表現する事も必要である。この歌にもそれが感じられるので、完成度ではまだ検討する余地はあるが、秀作とした。



吉井 秀雄


夜の更けに明かり眩しき工場はシャンプー作るか甘き香りす


評)
一首すっきりと纏まったところを評価したい。過不足なく詠い切っているところも好感が持てる。「甘き香りす」も纏まりある表現である。



金子 武次郎 *


迎え火の提灯掲げ田舎路を母と帰りき七十年前


評)
母への追憶が美しい。70年たっても鮮明に蘇ってくると言うのだ。そこに実感があって、良い歌になった。歌はこのように完成度の高いものにしてゆくための推敲を重ねることも大切である。


佳作



紅 葉


店先の黄色瓜はマクワウリ母のつくりしふるさとを思ふ



評)
「マクワウリ」が母と故郷へと直結してゆく。そこに無理はない。マクワウリに絞って詠ったところが良かった。



長 閑


とりどりの柄の手作り座布団を置きて霜月に入りゆくこの駅



評)
寸景ながら、生き生きしている。その情景に、温かい人間の営みを感じて、作者がほのぼのとしているのだ。その様子が読む者にも伝わってくるところが良い。



のりこ


綿の実のはじけて白き綿出でて輝きみゆる朝の喜び
退職し三十年作り続ける古代米刈る翁の汗が光れり


評)
一首目は朝の清新な感じが良く出ている。「喜び」と纏めた所も良かった。
二首目は翁の様子が伝わってきて、歌を生動させている。この作者には、一点に絞って詠い切ってゆくことを、これからも大いに学んでほしい。良いものを持っているのだから。



石川 順一


収穫の小豆はおはぎぜんざいに姿を変える母の手により



評)
母への思いが、おはぎ、ぜんざいへと変わっていく。それは、母の姿に重なっていくと言うところが具体的で説得力をもっている。結句はもっと推敲する必要はあるが・・。


寸言


選歌後記

今月は、なかなか清新な作品があって、今後、この掲示板も、よりふくらみのある面白い交流が出来るように思えて、心強い思いがした。
歌は漫然と表現していてもなかなか深まりが得られないこともある。そんな時は、思い切って大胆に表現の幅を広げて見ることも無駄ではない。
その意味で、今月提出された歌には、まだ、表現として完全に定まってはいないが、一歩踏み込んで表現している歌がいくつかあって、心強い感じがした。そんな思いで選歌した。
これからも勇気を持って取り組んでもらいたい。多少無理かなあ、と思っても敢えて挑戦する事も大切なことである。
ただし、ひとりよがりな、生硬な表現にならぬように気を配りながら果敢に挑戦していただきたい。

             内田 弘(新アララギ会員)



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