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(2012年1月) < *印 現代仮名遣い> |
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内田 弘(新アララギ会員) |
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秀作 |
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○
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なの
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遠き富士とスカイツリーと太陽が並びて今日も茜の午後 |
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評)
「茜の午後」が多少完結していない表現だが、この歌は斬新な見方で成功している。ただの羅列のように見えて都会に住む現代人のアンニュイな気分が出ていて注意した。 |
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○
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まりも
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末枯れたる茎に小さき蕾あり鉄線の鉢を日向に移す |
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評)
細かい観察が行き届いている。下の句の動きある所も良い。鉄線の歌はいずれもなかなかの完成度である。 |
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○
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鈴木 あきら
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危ぶみつつ下る駅ビル地下街は煌々と照る電飾の街 |
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評)
足元が不如意なまま地下に降りてゆくと、そこはきらびやかな電飾に飾られている地下街だった、という都会の駅ビルの様相を捉えたところが良い。 |
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○
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金子 武次郎
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この子らの科学者となる日を待たむオープンキャンパスに目を輝かして |
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評)
孫の大学に行っての感想を手際よく纏めた歌。「科学者となる日を待たむ」に気持ちが表れていて良い。原発の事故をベースに置いての作品だが、それは具体的に出ていなくとも気持ちは表現された。 |
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○
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丹野 藍
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在りし日の母が通院に履きをりし靴に残れる深き皺撫づ |
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評)
亡き母上の思い出を靴に収斂させて詠った所が優れている。しかもその皺を撫でているのである。そこが独特で、作者の追悼詠となっていて、読者に迫る。 |
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○
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Heather Heath H *
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母逝きて八月(やつき)の経ちぬ図柄刷り喪中葉書の投函終えぬ |
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評)
この歌も母上の追悼詠。図柄を刷る、と言う所が個性的な詠い方になっていて良い。 |
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○
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もみぢ
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桜葉の散り敷く並木踏みゆけば沈む靴底深ふか埋むる |
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評)
靴底の沈みに着目したところが良い。「深ふか埋むる」というところも感じが出ていて良い。 |
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佳作 |
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○
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石川 順一 *
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クリックを多くさせられ憤るパソコンはただそこにあるだけ |
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評)
パソコンに色々な意味で苦しめられている作者が目に浮ぶ。「ただそこにあるだけ」のちょっと投げやりな言い方がこの歌の場合、効果的である。 |
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○
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岩田 勇*
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コンビニに青年の読む漫画本新渡戸稲造武士道なりき |
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評)
ちょっと面白いコンビニの風景を詠った。これもまさに現代の風俗である。青年が立ち読みしている漫画本が武士道だ、と言う所が目の付けどころだ。 |
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○
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紅葉 *
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午後九時のアラームが鳴って約束の電話の時間を教えてくれる |
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評)
上の句が端的で良い。約束の時間が午後九時だというのだ。この作者の相聞歌もなかなか纏まりのある歌になってきている。どしどし詠ってほしい。 |
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○
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波浪
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老いるほどに歩行の距離をちぢめ来て木犀薫る辻まで行けず |
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評)
老いというものを歩行の距離に集中させて詠った所が良い。それが、木犀薫る辻までも行けなくなった、というのである。そこが、個性的でもある。 |
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○
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鈴木 あきら *
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音もなく降りくる紅葉肩に受け鳴子の峡のきだはし下る
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評)
状況を巧く纏めた。「音もなく降りくる紅葉」の捉え方はなかなか優れている。下の句も手際が良い。 |
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● |
寸言 |
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選歌後記
今月の秀作はなかなか見る観点が個性的な歌が多かった。佳作にも大いに工夫が凝らされている作品があった。
現代に生きている私たちの歌をもっと意識的に歌っても良いように思う。様々な事象や、現象が目まぐるしく過ぎて行く。その中で日々の生活が展開されているのだから、もっと大胆な現代だからこそ詠える歌が出て来ても良いように思う。
つまり、現代であるがゆえの題材に基づく歌がたくさん出てほしいと私は常日頃思っている。その意味で、身辺詠だけでない、現代を写す作品の登場を待っている。
内田 弘(新アララギ会員)
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