佳作 |
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○
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松 本
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ふるさとの過疎の村にて農を守る同級生が帰れよと言ふ
ふるさとに七人となり今を残る同窓会の写真の届く |
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評)
素朴な詠み方の中に、ふるさとへの思いが込められる。1首目は原作のまま。「ふるさと」の連作に取り組まれた。 |
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○
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くるまえび *
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マンザナーの霊に捧ぐる紅き花思いをこめてブーゲンビリア
西の空茜の雲に染まりつつ海鳥一羽遠く去りゆく |
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評)
南国の花を結句に、ゆったりと詠まれた。マンザナー収容所跡を訪れた折の歌とのこと。ハワイ在住の作者。 |
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○
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もみぢ
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潮風の吹き入る岬の細道に石蕗咲けり黄の花群れて
白米(しらよね)の棚田見放くる庭に立ち媼の編みしわらぢ購ふ |
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評)
日本的な情景がこまやかに詠まれた。どちらの歌も、結句に至るまで力を抜かずに、丁寧に描写されている。 |
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○
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きよし *
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電灯を点すことなく縁側に佇ちて暮れゆく庭眺めおり
夕暮るる路地の電線うめつくし雀のこえのしばし響けり |
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評)
暮れゆく時に、あえて灯りをつけずに心を向かわせた。日常の、見失いそうな時の中での、静かな発見がある。 |
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○
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ふみこ *
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山の端に沈む夕日の朱の色ひと日終えたるわが安堵のいろ
高原のすすきが原の夕ひかりあの世はこうかと子の問う声する |
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評)
夕日のときを、その時のこころを、やわらかく詠まれた。2首目の「あの世はこうか」、ふと問う声が、印象に残る。 |
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○
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古賀 一弘
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三度目の癌の告知にも怯みなし仕事に遊びに悔いなき人生
このパット絶対入れと祈りつつ八十二歳のエイジシューターわれ |
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評)
病と闘う“今”を受け入れながら、前向きに“生きる”姿を保ちつづけておられる。2首目、ゴルフもまだまだ現役。 |
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○
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まるお
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購ひて拭くパソコンがパソコンに映れるわれの老いを嘆くも
二上の雄岳雌岳を目当てとし夕べの道を安らぎ帰る |
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評)
1首目、ふとした折の自分を客観的にとらえ、ペーソスも温かさも感じられる。2首目は、大きな視点でゆったりと。 |
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○
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山木戸 多果志 *
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何もかも黄金色に輝いて森は夕べのひかりに満ちる
生きる日々の証に歌の詠まるるか「新アララギ」に感ずる息吹き |
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評)
1首目、上句を生かそうと、下句の推敲を重ねられた。2首目、「息吹き」が印象的。「歌を」を「歌の」と直した。 |
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○
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波 浪
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結核に二十歳代を失ひて今を生きをりわれ八十五
卒寿まで生きたる父母に肖(あやか)らむ思ひ秘かに八十五歳 |
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評)
1首目の上句は、なんとも重い。それだけに、下句の「今を生きをり」という実感が、しみじみと響いてくる。 |
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○
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漂流爺 *
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古き家に母ありし頃の思わるる芋粥を煮る姿浮びて
芋積めるリヤカー引きて父と帰る山辺の道を月は照らしつ |
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評)
ありし頃の父母の姿が、しきりに呼び起こされ、歌となって生まれた。深い懐かしさは、胸の奥の痛みにも通う。 |
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○
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星 雲
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本立てに向へばその度目に入りて未だ読まざる『平穏死』の文字
夏闌けて雑木の緑濃き山にて煙も立たずに父は焼かれき |
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評)
1首目、「死」のことも意識する年齢にさしかかり、微妙にゆれるこころが出ている。「向けば」を「向へば」と直した。 |
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○
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岩田 勇
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久々に夜長を読書に過ごさむと『砂の器』の埃を払ふ
アッシーてふ言葉のふつとよみがへる三連休は妻の送迎 |
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評)
ひところ盛んに読まれた本の題名が効いていよう。「アッシー」という懐かしい言葉も、こうして一首になるのだ。 |
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○
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紅 葉 *
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待ちにまつ異動の内示ついに無し白米をただ噛み砕きおり
朝からの雨に煙るは油山日がな一日寝て過ごしたし |
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評)
率直に気持ちを詠み込まれた。1首目の下句が印象を強める。こうして歌に表現して、新たな一歩が始まってゆく。 |
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○
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石川 順一
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雑草に混じり野生のコスモスは半円状に折れ曲り咲く |
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評)
下の句が丁寧に描写された。「混じる」を「混じり」と直した。「風呂」の歌にも感じがあり、遅い投稿が惜しまれる。 |
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