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今月の秀歌と選評



 (2013年4月) < *印 新仮名遣い>

小谷 稔(選者・編集委員)



秀作



波 浪


その愛をわが受けざりし同窓の媼が写真に最も逞し



評)
同窓の写真を素材にして少年の日と年経た現在とを実に簡潔にまとめている。結句がよく効いている。



くるまえび


砂中にて昼を眠れるクルマエビ夜は光の乱舞凄まじ



評)
養殖池のクルマエビの生態、とくに生殖や産卵などに鋭く迫って水族館的観察の及ばぬ迫力があった。



漂流爺


ヒロシマのドームは朽ちつつフクシマに再び立てる鉄の残骸



評)
放射能の惨禍に。ヒロシマは戦禍であるがフクシマは人災である。「再び」は放射能禍に再びである。



ハワイアロハ


ホノルルの雨空のはての一点に白く輝く雲現れぬ



評)
ホノルルという地名を明示したのでたちまちハワイ風景となり、一点という凝集が効果的。



きよし


末の子の一人立ちして出ずる朝豊の明かりの我は見送る



評)
酒に酔って赤くなった顔を「豊の明かり」という。子の一人立ちを送るにふさわしいめでたい語。



文 香


今日ひと日予定を入れず過ごさむか読みかけの本を窓辺に置きぬ



評)
予定を入れない日の心のゆとり。窓辺の本がお供。心の自由な豊かさとはこういう日のことであろう。



金子 武次郎


向い家の屋根の新雪朝の日に眩しく映えぬわれの机に



評)
仙台の新雪の朝のすがすがしさ。「われの机に」という景の焦点を得て心の焦点も鮮明になる。


佳作



岩田 勇


試みに古紙より抜きしチャート式に五十年前の苦闘まざまざ



評)
受験参考書に残る苦闘の跡。「試みに」という入り方がいかにも自然でうまいと思う。




島の雨飛沫をあげて通り過ぎたまりし水に虹の映れり



評)
南の明るい島であろう。「飛沫」は「ひまつ」でなく「しぶき」と読みたい。ハイプリツド車は今はめずらしいがやがては普通になる。新しい材料は要注意。



時雨紫


母の手を温めながら見比べる我が指と爪母譲りなり



評)
母の手を温めながらのあたたかい発見。



栄 藤


弥生期の遺跡に建ちし病院にCTスキャンの検査受け居り



評)
病院の立地点も珍しいがそこで検査をうけるという関わりで存在感が一新した。



古賀 一弘


魔女といふ漢字を売子に書いて見せ魔女人形買ふベニス土産に



評)
上句が普通の旅行者にはないユニークな行為。



もみぢ


山路行く車の前に立ち塞ぐ仔鹿一頭われを見つめる



評)
仔鹿との遭遇とはうらやましい。



紅 葉


携帯を鳴らすメールに耳澄ます掃除機を手に土曜日の朝



評)
やはり土曜日という休日らしさ。



Heather Heath H


浴室に斃れて三日友多き君の最期を「孤独死」とよぶや



評)
友は多いのに孤独に死んだ、という収め方がいっそう哀れがこもるでしょう。



仁科の囁き


つぐらとは赤子を容れし藁の籠いまは猫らのやすらぎの家



評)
「つぐら」という藁のかご。飯ひつ、保育器。



山木戸 多果志


センサーの我を感知し行き先を照らすはよけれど記録せずあれ



評)
今日の新しい装置。「ど」を省き「照らすよけれ」でよい。


寸言


17人というのは私には初めての多い人数で嬉しく対応できまた。男性の方では定年後の人ばかりのようですが、歌は感動を求め、言葉を探し、文字を書き、他人作を読んで感性の刺激を受け、自然や社会に能動的に接する。「しん」を求めるという「しん」は、真、深、新、まことを求め、より深く、見つめることによってより新しくなるのでしょう。そして継続は力なり。

              小谷 稔(選者・編集委員)



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