作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2013年7月) < *印 新仮名遣い>

内田 弘(新アララギ会員)



秀作



時雨紫


母に似し地蔵人形土産屋に微笑み浮かべ我を迎える


評)
柔らかな詠いぶりで、しっとりとした情感溢れる歌になった。特に下の句の「微笑み浮かべ我を迎える」が自然で良い。力まずに素直に詠った結果、良い歌になった。



文 香


残業を終えし心に浮かび来る遠き日の祖母の手作りいなり


評)
回想の歌でも心がこもっていて、読者に説得力があるのが良い。この歌も「祖母の手作り」というところが良いのである。静かに自然体で詠っているのである。



蒲公英


溶岩の砂利敷き詰めた庭に咲くブーゲンビリアも雨に濡れゆく


評)
溶岩の砂利を敷き詰めた、というところが良い。下の句の「雨に濡れゆく」は大人しいが自然に受け入れられる。



Heather Heath H


芍薬の葉陰に見つけし雨かえる開発地区に生き継ぎて来ぬ


評)
注意深く観察しないと、こういう歌は出来ない。その意味でしっかり見て、息を整えて詠ったところが良い。雨かえるの命に着目して思いを繋いでゆくのも優れている。



栄 藤


老いて免許取りたる妻は慎重に医院通ひのわれを乗せゆく


評)
淡々と夫婦の情愛を一首に纏めたところが良い。余計なことは言わずに、作者のために免許を取って医院に送って行くという内容がさり気なく詠われて良い。



紅 葉


乗る人の少ない朝の車内には車輪の音が乾いて響く


評)
都会の休日等の風景が出ていて、なかなか良い。「乾いて響く」は少し言い過ぎなところもあるが、実感に基づいているので、許されると私は思う。



ハワイアロハ


一面の鏡の窓に空映しビル建ち並ぶワイキキ通り


評)
結句は少し淡い、とも思ったが、上の句はなかなか捉えている。所謂「ミラー窓」であろうが、印象的な場面であるのには違いない。


佳作



石川 順一


雷鳴をしおにパソコン切るべきか悩む私に神の啓示が


評)
この歌はまだ完成されていないが、パソコンと雷鳴の関係は今後歌にしても良い題材である。しかし、「神の啓示」は大げさで読者の共感は得られない。今後の課題である。



波 浪


記録せし今日の短歌を夜更けまで電子手帳に推敲をする



評)
まさに、現代である。歌の推敲も電子手帳の時代なのである。そこのところは新鮮だが題材としては、当たり前なもので、この手の歌をものにするのはなかなか難しい。



金子 武次郎


校庭の砂一瞬に巻き上げる強風下にもボール蹴る子ら



評)
一瞬を捉えて詠ったのは手柄である。子らの生き生きと校庭を走り回る姿も想像できる。着実な写生だ。



茫 々


春の野に出で来れば皆今は亡し雲雀は高く空に囀る



評)
淡々と歌っているが感じのある歌だ。嗚呼皆亡くなってしまったなあー、としみじみ思って空を見上げると、雲雀がいつもと変わらず囀っている、というのだ。なかなか良い。



くるまえび


従兄弟らと諏訪湖に集いて肩を組み歌うは琵琶湖周航の歌



評)
従兄弟達と懐旧の思いのまま、共通して知っている愛唱歌を歌ったというので、すっきりとしていて、なかなか好感の持てる歌になった。



きよし


救急の手当てを受けて母の呼吸(いき)穏やかになりて昏々と睡る



評)
気持ちは出ている歌である。「昏々と睡る」までは言わなくとても上の句だけで分かるのでもうひと工夫である。


寸言


選歌後記

今月は、比較的素直な、自分の気持ちを淡々とまとめた歌が多かった。そのことは、歌の基本でもある。変に弄らないで、自分の気持ちに素直に従って歌を作るというのは、実はかなり難しいことなのだ。
何処かに力みが入ったり、一部だけが目立ったりして、歌を壊してしまうことが多々ある。私なども随分悩むところである。
しかし、そうはいっても只事を並べてみたって、一般的な歌にしかならない。自分の歌なのだから、何処かに自分らしさは出したいと思うとなかなか踏み切れない時があるものだ。
いずれにしても何を詠いたいのか、を常に自分に問いかけ、自分の表現をどのようにするのかを何時も考えて歌を作るように心がけたいものだ。

内田 弘(新アララギ会員)



バックナンバー