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今月の秀歌と選評



 (2014年7月) < *印 新仮名遣い>

大井 力(新アララギ選者・編集委員)



秀作



時雨紫 *


空白の答案用紙の片すみに「死ぬ」と生徒の滲みたる文字
うなだれて詫びにきたりし女生徒の答案用紙の「死ぬ」を消したり


評)
教職にある作者の歌、緊迫した教師と生徒の心の会話がここにある。生活詩の見本のような歌である。



紅 葉 *


「おはよう」が言える人らし戻りこしわけはわれには知るよしのなし


評)
複雑な事情は知る由もないと突き放しているように見えるが、ともかく朝の挨拶が返って来るのに作者は救われているのである。そこはかとなくぬくもりが出ているのがいい。



栄 藤


イプセンの「人形の家」識らずして「ノラ」になりゐる妻にあらずや


評)
「ノラ」に寄り掛かっている歌に見えるが、ほしいままの妻を温かくみているのであろう。「あらずや」は複雑であるが、素直にどうであろうかと見守っているのであろう。



ハワイアロハ *


出だしから忘れてしまいしピアノ曲さまよう指に記憶を戻す


評)
身に沁みついている記憶に挑む作者、指の感覚にすべてを託す思いがよく出ている。



ハナキリン *


新聞の休刊に気づく夜昨日(さくじつ)の出来事知らずに今日が過ぎたり


評)
昨日のことを思わずに過ぎる時間というのも悪くない。人にとって時間とは何か、作者は自らに問うているのである。こういう感慨もいい。



スララ *


片隅に生けし白百合静かにも落ちて誰もが訪ね来ぬ午後


評)
原作は「誰も」であったが、「誰もが」と調子を整えて取った。この歌もひとりの時間をさびしくも受け入れているとも思う。こういう空白感は人共通のものである。



くるまえび *


すれ違いざまに独りごという人を振り向き見れば耳にイヤホン


評)
今の時代の歌である。電子機器が中心の生活が蝕むものを、作者は何でもない日常に見出した。



波 浪


両肩を腱板断裂せる妻を過ぎゆくときに委ぬるほかなし


評)
結句を「委ぬるほかなし」として取った。この作者も時間に委ねるといっている。人の営みはおおよそ時に支配されるものかもしれない。切実な現実をここに見る。



金子 武次郎 *


戦争を知りし世代の次々と逝きてこもごもの防衛論か


評)
複雑に変化する現況に戦の経験のない人が、喧々囂々の議論をする。時の流れは変化を加速させる。この嘆きが根底にある歌である。



きじとら *


若人に伝える言葉がないという理由に次代の担い手捧げてならず


評)
原作「ない故に」であったが「ないという理由に」とした。また結句は調子を整える意味から「捧げてならず」として取った。上記の歌と同じ嘆きが出ている。     



峰 俊 *


木挽き唄今日も聞こゆる裏の山一声鳴きて雁移りたり


評)
懐かしい雰囲気の歌。林業は危機的な状況にあるといわれるが、こういう忘れ去られようとしている生活もあるのである。  


佳作



石川 順一 *


三箇所が二箇所に減って居る所痒みの島が繋がる気配


評)
皮膚に島を見る。多分赤くなっているのであろう。こういう発見もいい。従来はあまり素材として取り上げなかったものである。



ハナキリン *


ワイパーの隙間に入りし花びらが風にガラスを透けて飛びたり


評)
下の句を上記のごとくして取った。瑣末に見えるこういう凝視は自然の変化、移り変わりに今という時を逃がさず見て、今を大事にしたいという作者の思いである。



スララ *


老いし犬抱きてゆけば一面にしろつめぐさの花の夕暮れ


評)
犬は家族であるというが、歌の上でどう扱うか難しい問題である。この歌は大きい自然のなかで老犬との時を惜しんでいるのである。 



ハワイアロハ *


銃が趣味の米人真顔で子らに言う「人に向けるな、おもちゃであれど」と


評)
銃社会が必然なのか、我々には縁遠いかの国での嘱目であるが、人としてこういう社会でいいのかという問いがある。



金子 武次郎 *


所得税払う身分に戻りたいと年金暮らしの友と語りぬ



評)
税を免れている後ろめたさ、作者の正直さが切ない。



栄 藤


百円くらゐとついつい篭に投げ入れて百円ショップに払ふ二千円也


評)
増税後の社会のひとこまであることに注目。どうしたら買わすことができるか、どう節約するかせめぎあう今がここにある。



くるまえび *


散歩して戻りくるたび冷やしくるるウーロン茶ありて気力を戻す



評)
多分奥様が用意してくれているのであろう。ほっとする一瞬が切り取られている。



寸言


選歌後記

 歌は生活詩であるという。人の生活の哀歓のなかにこそ歌があるとする立場である。そこで何を如何に詠むかということになるが、人として生きてゆく上に大切なものは何かという素朴な問いを自らに発しながら作歌することを常に考えながら臨むということになると思う。自然の事象に感動するということも生きていてよかったという自覚でもあり、大切なことでもある。

〜大井 力(新アララギ選者・編集委員)



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