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(2015年3月) < *印 新仮名遣い> |
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大井 力(新アララギ選者 編集委員)
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秀作 |
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○
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時雨紫 *
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白足袋の摺り足茶室に運びきていつしか母の仕草となりぬ |
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評)
この母の仕草はまさしく失われた日本である。こういう歌柄は古臭くなるのだが、自分に母を重ねてまことに奥深い。いい歌である。 |
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○
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ハナキリン *
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啄木が花買いて思いを変えしごとシャンプー変えて髪洗いたり |
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評)
ごとという比喩がよくこなされている。比喩は難しいのだけれど発想が新鮮であり、歌によくいかされている。 |
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○
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鈴木 政明 *
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藁葺きの豪農の館残りたり節の背負いしものの一部か |
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評)
長塚 節の跡を訪ねての歌一連であるが、よく節の本質を見ている。 |
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○
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沙 弥 *
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眉月に春よ来いと口ずさみ母の寝息を確かめに立つ |
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評)
この母上はご高齢であろうか、病弱であろうか、不明だが案じている子の息遣いまで聞こえるようだ。 |
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○
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もみじ
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草なかに乗り捨てられし自動車の部品剥がされ日々錆びてゆく |
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評)
現代の姿そのものである。消費社会は病んでいるとこの作は訴える。そして否応もなく時間は過ぎてゆく。 |
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○
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ハワイアロハ *
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サイボーグになってパワーを増すのだと手術を気遣う父母に言いたり |
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評)
やさしい歌だ。膝か股関節か手術箇所は不明だが、大手術なのであろう。昔人間には案じられることであろう。手術をうける子が親を励ます。いいではないか。 |
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○
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金子 武次郎 *
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繰り返し繰り返し詠まむ開戦のニュース聞きたるあの日の朝を |
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評)
繰り返し詠むことくらいしか歌詠みには方法がない。飽きても詠む方法を変えて。惜しいことに開戦の何をかが分からない。悔いであることが分かるようにしたい。 |
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佳作 |
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○
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紅 葉 *
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われだけとなってしまひぬ朝の道児等は休みに入りたるらし |
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評)
平凡に見えるここに作者の生活情感が淡く流れている。淡いが時間の流れを感じる。 |
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○
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くるまえび *
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西空はおもむろに闇に深まりて宵の明星くっきり輝く
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評)
ハワイでの風景として詠まれた一連であると理解している。初句が丁寧に写されていていいと思う。 |
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○
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栄 藤
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新年の挨拶受けてこの年のはじめてのエコー検査を受けぬ |
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評)
初検査にエコー。こういう新年の迎え方もあるのである。 |
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○
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波 浪
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原爆症に肺結核にカリエスと凌ぎきて八十八歳となる |
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評)
この作者の生きる力というか、気力というか脱帽する。歌は報告に見えて実感が籠っている。 |
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○
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夢 子 *
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ぼた餅ほどの寿司飯にマグロが透けて載る同じお皿がまた回り来ぬ
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評)
この歌もハワイ点景として詠まれたものと推察する。ハワイにもコンベアー寿司があるのか。その寿司がいきいきと写されている。 |
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○
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笹山 央 *
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着物着し四人のおみな訪ねきて買いては捨てる世相を論ず
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評)
買いては捨てる世相は切りのない欲望に対する批判であろう。作者は横で見ているだけのように見えて深く頷いているのが分かる。 |
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● |
寸言 |
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選歌後記
歌とはなにか。まだ私は答えを持っていない。今は先達の歩んだ道を更に深く掘ってみたいと思っている。更に深く志すといってもいいと思う。いま混沌を深める現代であるから更にこの必要があると思っている。平凡にみえてもそこにある、滋味をどう汲み取るかが問われる場合もある。深く詠むことは深く読みとることでもある。
この選歌を通じてまたその思いを強くした。
大井 力(新アララギ選者・編集委員)
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