佳作 |
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○
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ハワイアロハ *
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右足の爪が自分で切れる日を思いて今日のリハビリを終える |
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評)
初稿の「右足の爪が自分で切れる日を思いてこなす今日のリハビリ」から良くまとまっていたが、最終稿では下句のリズムの単調さが解消され、作者の真摯な思いが読者に良く伝わる作品に仕上がっている。「ゆっくりと日々の過ぎゆく療養に残る薬を何度も数える」も、療養の日々を力むことなく詠み、完成度が高い。 |
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○
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栄 藤
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妻の胃の生検結果待つ日々は常なる小さきいさかひもなし
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評)
初めから完成された作品であり、初稿のままであるが、最終稿三首の中でも最も優れている。下句の「常なる小さきいさかひもなし」は作者の工夫されたところであろう。「胃カメラの結果告げむと妻は手を横に振るのみ言葉の出でず」も、感情を抑えて妻君(つまぎみ)の様子が詠まれており、共感できる作品である。 |
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○
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紅 葉 *
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もくもくと今にも動き出しそうなミモザの黄に春が勢う
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評)
初稿「もくもくと今にも動き出しそうなミモザの黄は春の勢い」から結句を少し変えただけだが、春の樹木の勢いがより感じられるようになった。 「かんざしに似合うでしょう」と髪寄せてきみはおどけるキブシ手にして も華やぎが感じられて良い。 |
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○
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波 浪 *
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わが経たる道をたどりて来し妻の七十六歳若々しく見ゆ
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評)
「わが経たる道」は米寿の作者が否応なく辿って来られた老化の過程であろうか。それにしても七十六歳の妻君(つまぎみ)は若々しく見えるという、大変喜ばしい歌である。 「元気だね」「若いですね」と煽てられいつしか米寿の翁となりぬ も明るくほのぼのとした一首で、好感が持てる。 |
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○
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鈴木 政明
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側面にバイクを受けて大破せし車を囲む人の輪解けず
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評)
作者の近隣で起こった、日中の交通事故を捉えた三首連作中の一首。三首いずれも緊迫感のある作品で良くまとまっているが、その中でもこの作品は光景を的確に捉えて、それを言葉で表すことに成功している。 |
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○
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石川 順一 *
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レントゲン写真を撮って帰り行く黄昏になりし頃を楽しむ |
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評)
最終稿三首の中ではこの歌が一番素直に詠まれており、共感を覚えた。例えば「レントゲン写真を撮りて帰り行く黄昏の時となりたる街を」等と三句で一旦切るようにすれば、メリハリが出てさらに読みやすくなるように思われる。なお、石川さんのコメント【9141】には、最終稿に選ばなかった二首「露草を探して歩みし秋の日を思ひ出させる地べたの蜻蛉」「整頓され掃除をされて畳らは擦り切れて居る変へられて居る」もあるが、もう少し推敲の時間があればと惜しまれる程の出来である。むしろこういった細やかな視点を持った作品を大切にしていただければと思う。 |
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参考(締切日後の投稿)
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○
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くるまえび *
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車海老の養殖業より身を引きてやり残したる仕事を思う |
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評)
作者が従事しておられた仕事を詠んで説得力がある。「やり残したる仕事を思う」はさりげない表現でありながら、大げさな言い方よりも却って訴える力を持っている。「犬たちにもルールあるらし幼きは餌を食べるも順番を待つ」も作者の細かな観察が生きた佳作である。 |
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