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今月の秀歌と選評



 (2016年2月) < *印 新仮名遣い

米安 幸子(新アララギ会員)



秀作



時雨紫 *


白足袋の母の摺り足聞こゆがに正月の朝厨にわが立つ
切り株に黒松立てし玄関に金糸の帯添え初春迎う


評)
母君の様子は窺い知れないが、例年ならば和服の母君が整えられる正月の祝い膳を、今年は作者が整えた。松を生けた玄関には金糸の帯を置き添えたという。帯は母君の物かもしれないし、或は作者の物かもしれないが、いずれにせよ作者の深い思いを感じる。



まなみ *


はしゃぎいし幼稚園児のねずみたちセリフも踊りもばっちり決めたり
ボンボンもシュガープラムも出番となり見守る家族は腰を浮かせり


評)
作者の指導による、小学生と園児たちのミュージカル「胡桃割り人形」の発表会の様子。二首とも弾みのある歌い出しはそのまま愉快な表現を以て終る。読者にも印象鮮明な作品であり、言外には作者の喜びも汲み取れる。「はしゃぎいし」として調子を整えた。



十月桜 *


背を向けて風の余白をみつけてはほっと息つく帰ってきたんだ



評)
ふぶく風に背を向けては息を整えるうちに、変らない故郷の空気だと安堵したのでしょう。下の句には、何かを吹っ切っての帰郷であろうかと想わせるところがあります。絶望の我の歌も思い切った作ですがより抒情性のあるこちらを。



ハワイアロハ *


病室に差し込む冬陽にまばらなる父の白髭ひかりて見ゆる



評)
今月は父君の入院に付添っての看病の連作の中からこの歌を選びました。「まばらなる父の白髭ひかりて見ゆる」に作者の心動きを感じたからです。



下元 省吾 *


平和維持掲げて世界に出向くなら決して民には銃向けるなかれ



評)
安保法案の行使に向けて、我々に予測される不安を素直に詠む作者の試みを尊びます。増殖炉もんじゅを素材とした作も、自衛隊法のこの作も社会詠として詠まれるべき素材です。


佳作



金子 武次郎 *


妻なくば吾のなきことを今に知る病を得たる八十三歳



評)
病を得られて、二人在ることの有難さに改めて気付かれ、心からの感謝を覚えていらっしゃる。それは、奥様も同じだと思います。筆者も素直な作品に出合えてほのぼのと居ます。



夢 子 *


あと五年生きるつもりに用意せし五年日記は四年目に入る
一日も休まず付けし日記帳五年ごとに替えて十冊溜まりぬ


評)
何よりも前向きな姿勢がよいと思います。休みなく続けられて十冊目だとも。五十年の営為の更なることを信じましょう。



ハナキリン *


両の手にやじろべのごと荷を持ちて月夜の雪道宴会に行く


評)
北国に暮らす作者でしょうか。年の瀬の雪の夜道を滑らないように、両手に持つ荷物でバランスを取る自らを、やじろべのようだと面白がりながら宴会に向かうところ。蕎麦すする人の歌も面白い素材でしたが今少し整理が必要でしょう。



鈴木 政明 *


高速の料金所にて釣り銭を両手にさしだす人に逢いたり



評)
無人の料金所に慣れた作者に、この日は丁寧に両手にお釣りをさしだす人に逢った。誰もが気付くとも言えないところを見逃さなかったのは、作者の感性がするどいからでしょう。



紅 葉


明け方に雨降りやむもジョギングをしない言ひ訳考えてをり



評)
雨後は 日課のジョギングに気の進まぬ作者。起き上がる前に、言い訳を自問自答しているのでしょう。結論の一歩手前で止めて成功しました。



菫 *


粘土質の土をほつこり育てたく腐植土ざつくり混ぜ込んでみる



評)
庭の一角を畑にと一念発起のこの作を選んだ。今回は意識的にオノマトペを試みたのでしょうか。他の作にも見ました。一首の中に、ほっこり・ざっくりという感覚的な言葉が二つもあると焦点が弱くなると思われます。



くるまえび *


パサデナのローズパレードでチューバ吹き近付く孫に声あげ拍手す



評)
ロスアンジェルス近郊のパサデナというところには、歴史あるローズパレードが新年に行われるらしい。チューバを演奏しながら行進してくるお孫さんを、拍手で迎え声援を送る陽気なご家族の様子が目に見えるようです。


寸言


正月の歌はなかなか成功しにくいといわれます。今月の秀作に推した時雨紫さんの作は正月を詠んでいますが単なる行事のうたに終わっていないのが良いと思いました。時事詠(社会詠)に取り組んだ新しい方もありました。読者の共感を得るようにそれでいてスローガンにならないように詠むには日ごろの心準備が必要になるかと思います。初稿のみに改稿をみない方もありました。とても残念でした。

米安 幸子(新アララギ会員)



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