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(2016年3月) < *印 新仮名遣い > |
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八木 康子(新アララギ会員)
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秀作 |
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○
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ハワイアロハ *
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冷房に芯まで冷えて図書館を出でれば緑のダイヤモンド・ヘッド
ハグをして「またすぐ来るよ」と言う我に父の面輪の泣くがに歪む |
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評)
1首目、雨の多い冬場にはダイアモンドヘッドが緑色に変わる、と知らなくても展開が鮮やかで魅力的な一首。好みですが「出れば」でリズミカルになります。2首目はそのままでグッときます。不謹慎かもしれませんが羨望さえ感じます。お父さんとの長い歴史まで背景に浮かんで。 |
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○
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十月桜 *
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五十センチ積もりし晩に作りたる肉じゃが煮足らず雪のしわざだ
臨月を働く女性の声の伸び肌艶やかに菩薩が宿る |
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評)
共にカラッと明るく、読者まで気持ちの晴れる心地よさがあります。作者の人柄がそのまま表れているのでしょう。自然に浮かんだのでしょうが、2首共に結句が意表をついて、独自のものになっています。 |
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○
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菫 *
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薄暗き廊下の棚に鎮もりて読む人もなき沙翁の全集
水色の表紙は沙翁の四十巻進学決まりしアンニュイな春 |
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評)
今年はシェイクスピア没後400年、夢中になって読みふけった日々が連作となりました。当時の入れ込みようが熱い一連からにじみます。作歌は思いや思い出を固定、定着させる作業でもあると改めて思います。 |
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○
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金子 武次郎 *
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除夜の鐘聞きつつ啜る年越しの蕎麦温かし妻子孫居て
八十の妻の疲れの積もれるか夜ごと寝息の強まるを聞く |
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評)
丁寧に年齢を重ねた作者の折々の感慨がまっすぐに伝わります。どちらも下の句のありのままの実写が効いています。「暖かし」の漢字を変えました。 |
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○
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茫 々
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対流圏の空気を切りて飛びゆける旅客機の下土を耕す
入江深く船は入り来ぬ朝霧のただよふ波止に人の影なく |
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評)
大きな景の写実短歌。年齢を重ねると共に、一見地味とも見えるこうした写生歌の良さがしみじみとわかるようになるものだと再認しています。 |
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佳作 |
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○
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時雨紫 *
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モノクロがカラーに変わりし瞬間に街角の少女いきなり消えぬ
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評)
「停電に摩りしマッチの軸先より炎走りて箱ごと燃えぬ」からの一連。暗闇でマッチ売りの少女の話に盛り上がる中、通電した瞬間の一首。これだけでは何のことかわかりにくいので佳作としましたが、連作ならではの思い切った捉え方、シャープな切り口が際立ちます。 |
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○
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夢 子 *
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スロースロークイッククイック歩み来ぬ足長グモは湯舟の縁を |
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評)
「目に浮かぶよう」とはまさにこのこと。生けとし生きるものすべてにあたたかい眼差しを向ける作者の面目躍如。軽やかな作りなのでリズムを大切にしたく、結句は「縁を」としました。 |
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○
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紅 葉 *
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明日からの勤めに備える子に妻の声が応える風呂空いたらし |
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評)
父親だからこまごましたことは言わないし世話も焼かないが、思いは負けず深い。初出勤の子に向ける心情がジワリと伝わります。 |
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○
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省 吾 *
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休肝日の目論み外れ新年会肝に銘じて誓ったものを
たった二分時限超過の手数料ATMは聞く耳持たず |
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評)
1首目、推敲に努めて、世の多くの愛飲家に一読して「わかる」とうなずかれる作になりました。2首目もそうですが、こういう日常詠が一番難しいとはよく言われることです。 |
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○
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石川 順一 *
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おでんには里芋でかく君臨す串の牛筋二本の地味さ
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評)
作者は里芋派か牛筋派か、などふと思いました。お皿の向こうのおでん鍋の中にも人間社会の縮図を見るような歌。「締切が悪魔に見える事務的に混乱して居る我の心語は」も、追いつめられた感がストレートに出ていてユニーク。 |
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○
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鈴木 政明 *
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子に送る一万円は吸われゆくATMの無情な口に
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評)
今やすっかり日常生活に溶け込んだATM、人格めいたものさえ感じるのも当然の成り行きでしょう。 |
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寸言 |
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新アララギ選者の倉林美千子さんが以前書かれた『寸言』を抜粋して再掲します。
共鳴体
「皆で食事をしている時に、食べて思わず、おいしいねと声をあげる人、声をあげて語りかけたい人、そんな人が歌を作るんだね。」
私が歌にめぐりあったのは十九歳の時でした。私の先生が教室でおっしゃった言葉です。アララギの歌人、五味保義という方でした。私は結局この先生の言葉に虜になって、今まだ歌を作っているわけです。
時々思うのですが、この言葉は歌の本質を言い当てているような気がします。歌は心の中を訴えかけて、相手に(今は不特定多数の)同意を求めるものではないでしょうか。日本語から生まれたリズムを持っているのです。同じ民族の我々はみな共鳴体なんですね。あなたが歌うと、何処かの誰かの琴線が共鳴して一緒に鳴りだすかも知れません。
「そんなに食うな。満腹ではいい歌ができんぞ。」もう一つ、これは個人的に言われた言葉です。満ち足りていては歌はできない? いえいえ、ただ私が若かったということです。
読んで思わず「これ伝えたい」と思った私も該当するかと。2002年5月の短歌雑記帳の中に載っています。
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