作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2016年6月) < *印 新仮名遣い

大井 力(新アララギ選者)



秀作



時雨紫 *


わがオフィスのほころび目立つ皮の椅子最後の授業終えきて撫でぬ



評)
退職に際して最後の授業を終えての感慨が切なく、伝わる。結句原作は「撫でやる」であったが、ここは「やる」という語感は例え相手が椅子であっても感謝の気持ちが上からの視線である語感を避けたい。そこで「撫でぬ」と淡々としてのべるように変えて秀作とした。



紅 葉 *


「全速で走れますか」と問いかけるコピーにうずくわが身になりぬ



評)
原作は「コピーにうずく」である。「うなずく」かと思ったがあきらかに違う。意味も大きく違う。コピーに疼くにはまだ走れるという思いと否もう無理との気持ちが交錯するものと理解した。そういう複雑な思いがよくわかる。



省 吾 *


伊勢佐木のネオンに浮かぶ鯉のぼり夜風孕みて通りを跨ぐ


評)
鯉幟の歌はいままで沢山詠まれてきたが、伊勢崎の夜のネオンに映える鯉幟はあまり詠まれていない。抒情豊かに捉えていい。叙景の少ない昨今にあってこれもいい。



金子 武次郎 *


死するとも殺めてならぬと教えくれし高久先生征きて還らず



評)
七十余年前のことで、今の教育事情からは想像し難いことではあるが、当時の人が人を指導するのに限界はあったろうと察する。さしずめ何としても生きて帰れ、あたりが限界かと思われるが、この先生は殺すなと教えた。そして先生は生きて帰らなかった。事実の重みと抑制された抒情がいい。



菫 *


九州の地震(ない)のニュースに崖下の古家の父に急ぎ電話す



評)
今の歌である。かように父と子供は繋がれている。マントルの大きな流れが岩盤のきしみを生み出している。そういう地上での父子情愛の交換がいい。事実を投げ出しているが、後ろに思いがある。



夢 子 *


溶岩に焼かれし木々は木の目まで残して黒き化石となりぬ



評)
ハワイの大地の嘱目であるが、見る作者の眼には厳しい自然への畏怖がある。それは自然への敬愛に繋がる。丁寧によく見ている。


佳作



ハワイアロハ *


耳元までレイに埋もるる友のみ子に爪先立ちて我がレイを掛く



評)
ハワイの卒業式の点景である。変わり移りゆく習俗の変化が伺い知れて興味深い。



鈴木 政明 *


帰りきてああ疲れたと言う妻に言葉続かぬ六畳一間


評)
若いであろう夫婦の微妙な雰囲気がある。惜しむらくは「言葉続かぬ」が作者の言葉が出ないのか、奥さんが出さないのか。お互いに言葉が出ないのか。微妙なニュアンスが出ると秀作の水準になるのだが惜しい。「言葉飲み目を瞑る六畳一間」だといけない?


寸言


各投稿者の方々が歌に真剣に取り組んでいることにほっとしている。各々の生活を送るなかの折々のこころ揺らぎを掬い取り、歌になるものを探そうとしていていいと思った。原点は身の回りを丁寧に見ることから歌は始まるのである。

大井 力(新アララギ選者)



バックナンバー