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(2016年12月) < *印 新仮名遣い > |
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青木 道枝(新アララギ会員)
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秀作 |
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○
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金子 武次郎 *
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この空が台風一過の空なのか斯く深き青八十過ぎて知る
限りなく青く澄みたる空なればもろ手を広げ秋の気を吸う |
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評)
空の青さが目に染み入る“今”を大切に詠んだ。身近なところに気づく、あたらしい喜び。そのこころが詩を生む。 |
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○
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ハワイアロハ *
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ボストンより訪い来し息子と自転車を並べて走る我が故郷を
コーヒーの味から語らう四年ぶりの息子と向き合う朝のカフェーに |
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評)
大人になった息子さんとの時間。自転車を走らせ、また、久しぶりに向き合って座る。二首それぞれに情感がある。 |
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○
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省 吾 *
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誕生日を祝う気持ちは薄れたれど妻と娘の笑顔に感謝
入退院繰り返す度に気のせいか小さくなりゆく母の寝姿 |
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評)
日常のふとした折の思いを胸に留め歌にされた。前の歌では下の句の率直な気持ちが、あたたかい印象を残す。 |
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○
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時雨紫 *
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恐るおそる母を見舞えば穏やかなその寝顔なり胸なでおろす
垣根越しにたわわに実れる柿一つ母に届けんその手の中に |
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評)
高齢で変わりやすい母君の容体なのであろう。「穏やかな寝顔」にほっとする作者。思いはいつも母の上にある。 |
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○
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鈴木 政明 *
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悠々と夕暮れの街歩きゆくは白き猫なり残る陽のなか
手を伸ばし掌で空を掴むごと吾が半生に得しもの淡し |
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評)
前の歌では、「白き猫」の姿が目に見えるようだ。丁寧な猫の描写に、作者自身の姿を、ふと重ねて感じてしまう。 |
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佳作 |
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○
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かすみ *
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現実をひたすら写すみ歌読みもの思いからしばし離れる
境内に杉の大木を見上げおり足元に秋の陽は点々と |
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評)
前の「み歌」の作者は小池光氏であったという。心から心へ、ひっそりと伝わってゆく短歌の出会いがあるのだ。 |
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○
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紅 葉 *
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盛り土の真っ最中の志津川よここしか生きる場所はないのか
午後三時盛岡発の「やまびこ」の自由号車に客はわれのみ |
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評)
仕事だろうか、被災跡が目につく東北に行かれた。車中に焦点をしぼって詠んだ2首目、単純さが印象を深める。 |
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○
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菫 *
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山道を曲がれば木立の後ろからスーパームーンがにっと顔出す
披露宴の代わりに友等とハイキング貧しくあれど輝く彼の日 |
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評)
山道を曲がり、突然のスーパームーンとの出会い。「にっと」という表現が、この歌では生きていよう。 |
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○
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夢 子 *
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古家に新しきトイレ運ばれて燦然と光り鎮座まします
トランプ氏の歌はどんどん出来るのにヒラリーさんは歌にならない |
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評)
大統領選の真っ最中にあって、ハワイ在住の作者。2首目、率直な気持ちから候補者ふたりが捉えられている。 |
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○
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原 英洋 *
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吹く風に靡きながるる雨の粒刻一刻と窓に弾けて |
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評)
その時の思いが深かったのであろう。改稿のたびに、歌が引き締まってきた。今後もぜひ投稿を続けて欲しい。 |
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○
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もみぢ
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アルプスに靄湧き出でて棚引くを絵画の如しと車窓に目守る |
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評)
「容赦なく被災地襲ふ暴風雨テントに暮らす人ら思わる」もまとまっているが、「車窓に目守る」の方が直接的。 |
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● |
寸言 |
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私はここ数年、毎日ピアノを弾いている。子どもの頃にやめてしまったピアノを、今になって一生懸命に弾いている。音がまちがいなく弾けても曲にはならない。こころの熱が音色をつくる。
短歌は短い言葉から成っている。短い詩であるからこそ、源には熱が欲しい。ひとりの人を愛し続ける熱。叩きつけるような苛立ち、深い寂しさなども、熱のようなものか。日常のなかで、自分で求めて育ててゆく熱を持ちたい。
(上の作品の中には、漢字の表記また助詞など、小さな訂正を加えた箇所があります。)
青木 道枝(新アララギ会員)
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