|
|
|
|
|
|
|
(2018年5月) < *印 新仮名遣い > |
|
大井 力(新アララギ選者)
|
|
|
|
秀作 |
|
|
○
|
|
つはぶき
|
|
「三世代家族ですね」とレジの人言はれて惑ふ子の無きわれは |
|
|
評)
おそらく買い物の内容から三世代同居家族を連想されて作者に声をかけたのであろう。この「惑い」は寂しさを伴ったものであることが容易に想像できる。この寂しさは何か地下に落下してゆく感じではあるまいか。淡い陰が読む人のこころに迫る。 |
|
|
|
○
|
|
すみれ
|
|
大地震より七年を経て身につきぬ蛇口を絞るしきたりひとつ |
|
|
評)
自ずから身に付いたこのしぐさも淡い寂しさを伴う。かくして自然に人は支配を受けているのである。 |
|
|
|
○
|
|
菫 *
|
|
夜泣きする子を抱えいてワイキキの滲む灯りを遠く眺めき |
|
|
評)
子供は育って親をかえりみなくなる。こうして過去に浸り人は生きる。何ともかなしいものだ。 |
|
|
|
○
|
|
時雨紫 *
|
|
孫帰り言葉少なき食卓にいつもの二人のときが戻りぬ |
|
|
評)
またいつもの沈んだというか、落ち着いた時間が戻る。この時間は永遠に続くような気がするのである。いい雰囲気だ。 |
|
|
|
○
|
|
紅 葉 *
|
|
雪になる彼岸の朝は思いたち父の背広を纏いて出でぬ |
|
|
評)
この懐かしさというか、寂しさというか思い出は誰しもふっと湧いてくる。重たい背広、古臭い背広、を作者は噛みしめているのであろう。 |
|
|
|
○
|
|
まなみ *
|
|
カマニの木は紅葉の葉を落とし終えはやも十日に芽吹きそめたり
|
|
|
評)
自然はかくして巡る。植物も人も生きとし生けるものは循環する。生き代り、死に変りしてめぐる。いのちに対する敬愛が詠ませている歌である。 |
|
|
|
○
|
|
めいきょん *
|
|
故郷の桜の写真届きたり四季なき国に住む吾が許に
|
|
|
評)
外国に住む作者の特殊な感慨である。桜はふるさと、すなわち日本、なにか本能的にふる里を恋う人の本質が根底にある。 |
|
|
|
佳作
|
|
|
○
|
|
かすみ *
|
|
珈琲を匂わせてひとり椅子に寄る窓の向こうに咲く雪柳 |
|
|
評)
淡い寂しさは妙に胸に響いてくる歌である。寂しいとは一言も書いてない。しかしこの雰囲気が自然に巧まずして出せるのは力量である。 |
|
|
|
○
|
|
鈴木 英一 *
|
|
修学旅行の奈良へふたたび古希越えて仲間と共に訪ねきたりぬ |
|
|
評)
仲間はいいものだ。温かい作者の心情がよく出ている。 |
|
|
|
○
|
|
夢 子 *
|
|
ふるさとを想いて居らん「君が代」を歌う外人力士暗く口開く |
|
|
評)
君が代を歌にするのは難しいがこのように自分に引き付けて詠むことで作品にすることが出来る。 |
|
|
|
○
|
|
ハワイ アロハ *
|
|
大雨の音に会話はかき消され琉球グラス露を帯び来ぬ |
|
|
評)
誰と向き合っているのか、何を話しているのか一切書かず何か淡い寂しさが感じられる。時間の推移も描かれて巧みである。 |
|
|
|
○
|
|
中野 美和彦
|
|
海の上の夕雲仰ぎ幼くも物を書かむと思ひそめたり |
|
|
評)
自分の原点を見詰めようとしている作者に思わず好意を抱く。 |
|
|
|
○
|
|
原 英洋 *
|
|
肩のリンパに指圧を受けつつ聞いている安藤忠雄またはコルビジェのこと
|
|
|
評)
日常のこんなひとときにも三十一文字に思いが及ぶ。こういう雰囲気もいいものだ。 |
|
|
|
○
|
|
くるまえび *
|
|
足漕ぎのカヤック操り婿ひとり何を思うか釣糸垂らす
|
|
|
評)
このお婿さんも自分を見つめる時間をこのように持っているのであろう。釣りは根気、自分を見つめる時間だと誰しもがいう。その通りだ。 |
|
|
|
● |
寸言 |
|
|
選歌後記
毎回HPの選歌をして思うのは、投稿される皆様の真剣な生活ぶりに正直いっていつも救われる思いがする。勿論濃淡の差はある。しかしみんな正直である。これ以上のことはないと思っている。今回も人の息遣いが感じられる度合いを選歌の基準とした。人の息遣いが言葉によって発せられる。受けとる方はどれだけ作者の思いに迫れるかが問われるのは言うまでもない。
大井 力(新アララギ選者)
|
|
|
|
|
|