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今月の秀歌と選評



 (2021年1月) < *印 新仮名遣い

清野 八枝(HP運営委員)


 
秀作
 


はな

せいこ蟹の殻に歯を立て身を吸えば仄かに甘し海鳴りの宿
石蕗の花一面に咲き満ちるなだりの先は北陸の海


評)
せいこ蟹は冬の北陸の限られたエリアでしか入手できない美味な蟹として知られる。その身汁のほのかな甘さを味わっている宿に、海鳴りが聞こえてくる。作者の満ち足りた幸福感が、調べよく、情感を持って詠まれている。後の歌、石蕗の花の黄と北陸の海の深い藍色が美しく、広々と大きな風景をとらえている。
 



手術棟に振り返りつつ入りゆく夫の背小さく頼りなげに見ゆ
薄青き数多の管に繋がれて夫は眠る明るき午後を


評)
ご主人の体調の突然の異変と手術までの経過を丁寧に見つめた一連の中から。前の歌、上の句は写生が生きて夫の心細さが、下の句は作者の心配な気持が素直に伝わってくる。後の歌、冒頭の「薄青き」という点滴の管の表現が新鮮で、夫の体内を流れる浄らかな薬液を思わせる。下の句もとても良い。ほっと緊張がとけて、術後を深く眠る夫の傍らに添う作者の安堵が、穏やかな午後の日差しの中にあたたかく詠まれている。
 


大井 美弥子

冬の朝凍える耳にイヤホンが流すローファイ雪ふりしきる
図書館にボードレールを読みなずむ窓の外には夜の訪れぬ


評)
前の歌、「ローファイ」をネットで調べると、録音技術の極端に進歩したHi-Fiサウンドに対して自然な録音を志向する音楽、とあった。凍えるような厳寒の朝、音楽、降りしきる雪。感覚に訴える魅力的な歌となった。後の歌、「ボードレール」は「悪の華」で知られるフランス近代詩の代表的詩人である。作者はボードレールの何を読んでいたのだろうか。その難解な作品に苦闘している間に、窓の外には夜が訪れていた。図書館にボードレールを読む、という材料が新鮮で、コロナ禍で消極的になっている私達の世界を広げてくれそうである。
 


中野 由紀子

麦の穂は風になびいて揺れ動きこがねの波が大地を渡る
早朝のワライカワセミけたたましキャンプ場の起床ラッパか


評)
オーストラリアを旅した際の印象的な一連の中から。前の歌、黄金色に実った麦の穂が風の動きにつれて大きくなびいてゆくダイナミックな光景を美しく詠み上げている。後の歌、オーストラリアならではの珍しい体験を詠んでいる。ネットで聞くワライカワセミの声は確かに驚くほどけたたましく、早朝から作者がどれほど驚かされたかと、思わず笑ってしまった。
 


大村 繁樹 *

来る秋の花芽を地下に守りつつ曼珠沙華の葉は氷雨に打たる
凍てつきし雪踏みゆけば曼珠沙華の葉は薄き日を受けて光れり


評)
花が終わった後、余り目を止められることのない曼殊沙華の葉を詠んで心惹かれる2首。曼殊沙華の葉は、花が枯れた後に細長い緑葉が茂ってきて、翌年花芽が伸びる前には枯れるという。前の歌、冷たい氷雨に耐える曼殊沙華の葉に寄せる作者の思い。自然に流れる調べが良い。後の歌、凍てついた雪道の奥に冬日を受ける曼殊沙華の葉に出会った作者の静かな感動が詠まれている。2首共にしみじみとした情感がある。また同じく曼殊沙華の葉を詠んだ歌として、「新アララギ」の創立者で初代の代表であった宮地伸一先生の「花よりもすがしと言はむ曼殊沙華鋭き葉を立て年も越えたり」がある。
 


原田 好美

人数が足りないからと強調し独りでいる友誘う生徒
ラインにて嫁ぎし娘らと夕食のメニュー見せ合うクリスマスイヴ


評)
前の歌、1人でいる友達を何とか仲間に入れようとする生徒の優しさ、また彼らのやり取りを見守っている作者の温かい眼差しが伝わって心温まる歌となった。後の歌、いつものようには会えないけれど、ご馳走をラインで見せ合って、娘達の家族と楽しいひと時を過ごしたクリスマスイヴ。リズムも弾んで、コロナ禍の中のあたたかな家族の時間が表現された。
 


ハワイアロハ

コロナ禍に仕事を失くし苛立てる夫が怖いと友は電話に
慰めも言えずただただ聞いており握る電話に汗滲み来ぬ


評)
コロナ禍の中で仕事を無くした友人夫婦を心配する2首である。前の歌、苛立つ夫を怖れる友の電話に胸を突かれる作者。後の歌、「ただただ聞いており」には、口先だけの慰めなど言えない、友への深い共感と同情がある。友と共に悲しみ、途方に暮れる作者の手には汗が滲んでいる。個人ではどうすることもできないコロナ禍の現実が、ここでも作者の実感として詠み上げられている。
 


時雨紫

わがためにコーヒー淹れてくれるらし職退きし夫の一日ひとひの始まり
距離保ち夫と暮らす日屋根の下にピアノの曲が静かに流る


評)
前の歌、なめらかに詠み出される一日の始まり。コーヒーの香りと共に穏やかな時間が始まる。退職後の夫とのほのぼのとした日々である。後の歌、お互いの距離を保ちながら快適に暮らす工夫をしているお二人であろう。退職の前から習い始めたと一連の中で詠まれた、夫の弾くピアノが静かに流れる。何か羨ましい思いで選んだ2首である。
 


くるまえび

涼風に椰子の葉ずれのさらさらと心地よき音ハワイの庭に
白き雲明るく仰ぐ君に添い生き来し日々は我の幸せ


評)
前の歌、優しい風と葉擦れの音、素敵なハワイの庭園を想像させる。後の歌、この妻と共に歩んできた日々を幸せだったとしみじみ感じている作者の思いが温かく素直に伝わってくる。上の句の表現のように明るく大らかな妻君なのでしょう。なんて良いご夫婦かと思う。2首ともに軽やかな調べが楽しく快い読後感がある。
 


山水 文絵

コロナ禍に面会し難き九十の母との残り時間を思う
コロナ禍に孫の来られぬ新年はただ黙々と蟹を食みおり


評)
前の歌、下の句に作者の切ないもどかしさが表現されている。コロナ禍の中では、病院はもとより施設などの面会も厳しく制限されているのだ。後の歌、折角のお正月にも孫たちには会えない。残念で寂しい新年の空気が伝わってくる。2首ともに大切な人たちに会うことの難しいコロナ禍の心もとなさ、寂しさを訴えて共感を呼ぶ。
 


はなえ

点数で吾を笑いし人々に囲まれており子供時代は
古民家を描き描きて見えて来しシェイプはやっと立体になる


評)
前の歌、苦しかった経験を冷静に把握しており胸を打たれる。今では大人となり、広い視野を得た作者は、点数や成績が人生のほんの一部の価値に過ぎなかったことを実感していることだろう。過去の経験を客観的に把握してゆく時、大人となった作者の胸の中で、傷ついていた過去の自身は温かくいたわられ、慰められ、癒されてゆくだろうと思う。なお「囲まれており」は「囲まれておりき」とします。
後の歌、絵を描く喜びと、やっと思うような形に近づいた達成感が、リズム感を持って明るく表現されている。
 


夢子

コロナ禍に懐かしき君をハグ出来ず距離を取りつつじっと見つめる
呆然と早一年は過ぎ行きてマスクをつけて新年迎う


評)
前の歌、懐かしいひとに出会ったのに今はハグをすることもできない。下の句の「距離を取りつつじっと見つめる」に作者の残念な寂しい思いがにじみ出る。もし、「君」が男性であったのなら、下の句には切ない思いが込められているのかも知れない。後の歌、誰もが同じ思いを抱いたことだろう。突然現れたコロナがあっという間に世界中に蔓延して大混乱を巻き起こし、ようやくワクチンの目途が立ち始めて迎えた新年も、世界中の人々がマスクを付ける異例の様相となった。1首に作者の実感がこもる。
 

佳作



原 英洋

霊をシバく退魔師レイナ勇ましく電子コミックスライドしてゆく
いつ頃の習慣かと思う浴衣からふきん作りし漫画の会話に


評)
2首ともに「電子コミック」の世界を詠んでいるが、テンポが良く、楽しんで漫画を読んでいる様子が伝わってくる。今風のコミックであろうか、「退魔師」とか布巾をめぐる漫画の会話など、珍しい材料を詠みこんでいて面白い。
 


清水 織恵

一生涯光あたらぬ足うらを丁寧に洗う洗顔せっけんに
湯上がりの幼く見える母の頬なんでもない日をゆっくり話す


評)
前の歌、自分の体の一部であるのに、大切にされない足裏にふといたわりの思いが湧いた。素直な気持が詠み出されている。後の歌、作者が傍にいることに安心してゆっくり話す母。湯上りの紅潮した頬を幼く見えると言いながら、高齢の母をいとおしく思う作者の気持が伝わってくる。
 


鈴木 英一

悠々と蛇行していく千曲川の川州の先に山並みを見る
強者ども幾たび合戦せしものか盆地見通すこの川中島に


評)
前の歌、千曲川の悠々とした流れと周囲の山並みを大きくとらえ、その雄大な風景に感動している作者。
後の歌、有名な川中島の地勢を目の当たりにして、繰り返された合戦の歴史にはるかに思いを馳せる作者の感慨が、上の句の詠嘆となって詠み上げられている。調べも良い。
 


はずき

この作者は友の先輩と聞きいたり短歌指導は小谷先生と
趣味多くソムリエとなり企業家も多勢育て奈良の町おこしす


評)
一連5首は、松森重博氏の著書『大和まほろば』に出会い、氏の人間性、その業績に触れた作者の深い感動を詠んだものであるが、その中から2首を選んでも、作者の感動は伝えきれない。前の歌、一連の導入部にあたり、作者に本を貸してくれる先輩が詠まれている。後の歌、1首の中に入りきれない、作者の感動した松森氏の志や業績、趣味などを詰め込んで何とかまとめようとしているが、これは何首かに分けて連作にしてゆくのが適切かと思った。結句はかぎかっこを付けて、「奈良の町おこし」す。とするのが良いでしょう。
 


紅葉

発表の時が来るまで何もなしきみと二人で島に旅立つ
 絶景に解決策はないけれど思いめぐらす暇をくれぬ


評)
前の歌、試験の結果を待つのであろうか。やるべきはやった、という作者の思いと、ほっとして島に旅立つ二人が穏やかに詠まれる。後の歌、美しい風景に向き合いながら、来し方行く末に思いを巡らす貴重な時間が持てたことをしみじみと振り返る。どんな課題があるのか、上の句の表現からはわからないが、旅を終えた作者が新しい一歩を踏み出す予感を持った。
 


黒川 泰雄

可笑しみは疲れた娘が訪ね来て大福全部食べ喋る時
可笑しみは連れ添う犬が飼い主と同じとこ見て石になる時


評)
橘曙覧の楽しい歌を思い出させる5首の中から。
前の歌、大福を全部食べ、思い切り喋った娘さんはストレスをすっかり発散できたのであろう。そんな娘さんを見守る作者の温かさが伝わってくる。
後の歌、これはまた可笑しい。「石になる」という比喩の言い方は短歌の表現では普通は用いないのだが、この場合は他に言いようがないかも知れない。一人と一匹、何を見て石になったのか知りたい。
 


鮫島 洋二郎

本物の豊かさ呉れぬ科学なら暫し休みて昔に帰れ
白々と夜の明け来たる窓の外心に落ちる雪降りにけり


評)
前の歌、これ程科学が進歩したと言われる時代に、人々の幸せには程遠い日々が続いている。コロナに翻弄される世の現状に対する、作者の怒りの言葉である。後の歌、「心に落ちる雪」とは心に静かに沁みるような雪なのだろうか。静かな夜明けの窓の外に音もなく降り続く雪の白さが浮かんでくる。
 
 
寸言

 半年ぶりにホームページを担当したが、皆さんの歌が格段に上達していて驚いた。継続して学んで来られた成果であろう。今月は、コロナ禍の中でのクリスマスや新年を詠んだ歌をはじめ、旅、家族、季節など様々な題材の歌が寄せられ、それぞれに心打たれ、心惹かれるものがあった。順位にこだわらずに、自分の歌を大切に詠み続けてほしい。また、改稿のたびに私の想定を超える優れた添削が返ってきて、大きな手応えを感じた。ワクチンの目途もつきはじめた今春、新たな気持で共に学んでゆきましょう。

 
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