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今月の秀歌と選評



 (2021年7月) < *印 旧仮名遣い

清野 八枝(HP運営委員)


 
秀作
 


大村 繁樹 *

雪道にて出会ひしときの微笑みを浮かべゐし妻終の朝に
ゆめうつつに妻の呼ぶかと思ひしが目覚むれば槻のさやぐ音のみ


評)
この一連には、いまは亡き妻への作者の思いが切なく詠まれている。前の歌、妻の最後の表情にかつて若くして雪道で出会ったときの微笑みを思い出す作者。印象的なシーンを詠んで、「終の朝に」という結句が哀切である。後の歌、ふと妻に呼ばれたかと思って目覚めた作者に聞こえたのは木々のさやぎであったと。作者の目覚めゆく心のままに自然な調べをなして清らかに詠まれている。哀しく優しい木々のささやきである。
 


はな

さいならとメールが来たり九十歳心を砕く別れの言葉
夕立が向日葵揺らし通り過ぐ廃校の窓閉じられしまま


評)
前の歌、高齢の友人から「さいなら」とあまりにも唐突な別れのメールが来た。友人の覚悟の挨拶であったのだろうか。作者の受けた衝撃と悲しみが下の句から伝わってくる。後の歌、夕立が広い校庭を通り過ぎてゆく情景が目に浮かんでくる。廃校となった教室の窓は閉じられ、向日葵だけが寂しくゆれている。読む人の郷愁を誘いさびしさを感じさせる。
 


時雨紫

氷嚢に熱を下げつつ筆持てば杜甫の漢詩をたちまち書き上ぐ
里想う杜甫の「月夜」の漢詩 うた 読めば母偲ばれて半切滲む


評)
一連の歌は、書の昇段試験に挑む作者の姿が詠まれている。前の歌、夏風邪の高熱を発した作者は、氷嚢で頭部を冷やしながら筆を持った。身体の高熱と高揚した情熱のなかで、作者はたちまち杜甫の漢詩を書き上げてゆく。切羽詰まった状況の中で奮闘する作者の勢いが伝わってくる。下の句は「たちまち書き上ぐ杜甫の漢詩を」と倒置にするのが良いかと思う。後の歌、書き上げた杜甫の漢詩をよみかえしていると、しみじみと母が偲ばれて目の前の書が涙で滲んでしまったと詠む。精魂込めて書を書き上げた充実感が一連から伝わってくる。
 


はなえ

切り捨てることを知らねば何ひとつ伝えられぬとようやく悟る
稲妻の走りし刹那雨粒はフロントガラスを激しく叩く


評)
前の歌、絵を描きながら作者の気付いた大切なこと。この前に「丁寧に森や小道を描きすぎ主役の民家のかげ薄れたり」がある。私達の生き方にも何か示唆を与えてくれるような作者の発見を詠んでいて、はっとさせられた。後の歌、突然の激しい雷雨に出逢った作者の驚きと怖れが、迫力をもってリズム良く表現されている。実感を伴ったとても良い写生の歌になった。
 


中野 由紀子

テナーサクスなめらかにのび夜の空見上げて捜すサザンクロスを
顔を伏せ張り付くように死んでいるポッサム無念地に爪たてて


評)
どちらもオーストラリアでの回想詠であろうか。前の歌、調べがのびやかで、南半球の美しい夜空と流れるテナーサックスの曲が聞こえるようである。後の歌、「ポッサム」はオーストラリアに生息する有袋動物で野生化した猫に襲われる例が多いという。作者はポッサムのうつ伏せに爪をたてて死んでいる姿をみて、どんなに無念の死であっただろうかと思いやり同情している。ポッサムの様子が的確に描写され、胸を打たれる。
 


鮫島 洋二郎 *

時化のあとに母と一緒に拾ひたる天草を煮る夜の昂ぶり
半夏雨畦道歩く農夫ゐて里の青田の実りすくすく


評)
前の歌、浜辺に打ち寄せられた天草を母と拾った懐かしい夏の回想である。ところてんにするために天草を煮溶かす作業を手伝っている作者のワクワクする気持を下の句が見事に表現している。今の時代にはとても珍しい、作者ならではの材料がよい歌になったと思う。後の歌、「半夏雨」は梅雨明けのころの雨が降っているのだろうか。農夫と青田、この季節の情景がみずみずしく描かれている。
 



ミネソタへ移る友とのお別れに掲げしワインのほろ苦く泌む
離れゆく友に腕輪を贈りたりホヌ(亀)のオパール夕陽に煌めく


評)
遠く離れてゆく友を送る一連である。前の歌、席を離しマスクを外して、と詠まれた後の乾杯のシーンである。このような状況のなかでの友との別れの寂しさが、作者の思いを込めて下の句に表現されている。後の歌、友に贈った腕輪には幸せを運んでくれるとハワイの人々の言う、ホヌの飾りが付いている。そのオパールのホヌが友情に応えるかのように夕陽にきらめいた。友との別れの寂しさとその幸せを祈る作者の思いが調べ美しく詠まれている。
 


上野 滋 *

彫像の如く青サギ立ちてをり過ぎゆく吾に瞬きせしか
平城の宮跡蒼き風の中令和の民はジョギングしをり


評)
前の歌、上の句は青サギの様子が目にみえるようで、下の句にはっとさせられた。その目が作者を見たのか、鳥の瞬きとは思いもよらない捉え方に作者の鋭い感性を感じた。後の歌、壮大な歴史を秘めた広々とした宮跡を爽やかな風が吹き、1300年後の令和の人々がジョギングをする平和な光景を詠み、大きな時の流れを俯瞰させる。読者の心ものびやかに広がってゆくようだ。
 


山水 文絵

会えぬ間におむつもとれて初孫は「こんど行くね」とスマホ画面に
甘き香に父の歌声よみがえる風呂より漏れし「くちなしの花」


評)
前の歌、コロナのせいで中々会えなかった可愛い初孫がいつの間にかおむつもとれたという。下の句にはスマホから話しかける幼子の愛おしさが伝わってくる。後の歌、すっと口から流れでたような自然な調べである。「くちなしの花」は作者の父は勿論、ある年齢層の多くの男性の愛唱歌であるそうだ。梔子の香りにさそわれてほのぼのとした温かい一首になった。
 


清水 織恵

泣きそうなモーヴ色した夕暮れにふと浮かびくる歌人がひとり
消しゴムを力なくかけるこの手から我の日常歌になりゆく


評)
前の歌、「モーヴ色」は薄く灰色がかった紫色のことで、上の句の夕暮れの表現は作者らしいある情感が感じられる。下の句に現れる歌人は作者の憧れの人なのであろうか。何か心惹かれる一首である。後の歌、何度も推敲をしながら一つの歌が出来上がってゆく過程を消しゴムを通して表現している。下の句がとても良くて心を打たれた。2句目、もう一工夫してみるとずっと良くなると思う。
 


原田 好美

コロナ禍に友の一周忌に行かれない前向きに生きしその一生ひとよ恋う
紫陽花の白き花叢雨に映ゆ暗く静まる杉木立の下


評)
前の歌、大切な友の一周忌に行けないもどかしい思いを上の句に訴え、下の句ではひたむきに生きたその友を恋しく思う作者の心が直ぐに詠まれている。後の歌、梅雨の雨の中に紫陽花の花叢が白く輝いている美しさを詠んでいる。下の句の暗い杉木立との対比が花叢の明るさを際立たせて印象的である。
 


夢 子

黒パンときゅうりとトマトのランチにも飽きて並びきマクドナルドに
防寒帽毛皮のコートに身を固めビッグマックを半日待てり


評)
1990年モスクワにマクドナルドが開店した時の市民の様子を詠んでいる。前の歌、当時モスクワ市民の生活は苦しく、食料品も乏しかった中で、作者は、恵まれた立場にあったのだろうか。それでも同じ材料に飽きてしまったという。後の歌、厳寒の中で半日も並んでビッグマックを待ち続けたモスクワ市民の姿を詠んで、あの時のソ連の危機的状況を表現している。この一連はまさに歴史の証言となる歌であろう。
 
佳作



黒川 泰雄

受付の冷たい仕打ちに立ち尽くすネットで予約とあしらう皮膚科
春の雨にあなたを待ちし河原町甦りきぬ五十年経て


評)
前の歌、最近のクリニックはまずネットで予約する仕組みが多くなった。電話を入れても取り付く島もない。目の前の受付の冷たさにショックを受けた作者の戸惑いが一首によくまとまって詠まれ共感を呼ぶ。後の歌、若き日のデートの待ち合わせ場所であったのだろうか。ふと通りかかって甦ってきたかつての切ない思いを春の雨に託して詠んでいる。五十年を経たのかという感慨と共に。
 


鈴木 英一

班ごとに赤信号に区切られて列作りゆく通学の子ら
思い立ち体幹レッスン受講せしがあちこち痛みの残る数日


評)
前の歌、コロナ下での通学の決まりを懸命に守って、並んで進む子供たちの様子を温かく見守っている作者がいる。後の歌、作者の実感が素直に伝わって読む人の共感を誘う。
 


はずき

アイス溶けフリーザー故障を告げたれば管理人言う一週間待てと
すぐにでも買いに行きたき冷凍庫管理ルールに妨げられぬ


評)
楽しみにしているデザートのアイスが溶けて故障に気づいた作者。しかし管理人の指示には従わなければならない。常夏のハワイでは日本より大きいサイズの冷蔵、冷凍庫を使うのだろう。小さな冷凍庫なら勝手に購入しても良いのでは、と作者に同情してしまった。2首目に作者の無念さがしっかりと表現されている。
 


源 漫 *

ちはやぶる神代も聞かずおほやまと鹿がづぶとく人を噛むとは
やや古き歌人伝めくり「この人に恋歌もらったよ」と母微笑みぬ


評)
前の歌、「ちはやぶる」は「神代」にかかる枕詞。「おほやまと」は大大和つまり古都奈良のことで、おとなしい奈良の鹿が人を噛むなんて神代の昔から聞いたことがない、と詠んでいる。珍事とも言えるこのニュースを一首に巧みにまとめている。後の歌、母の微笑みから幸せな思い出となった日々を知った作者の温かな思いが感じられる。
 


紅 葉

問題を解く時は過ぎアスファルト道路に雨の降りしあとあり
テスト後の自己採点のため息を分析をする力に変えむ


評)
前の歌、問題を解いていて気づかない間に雨が降り、止んでいた。緊張から解放されてはじめて雨に気づいた作者の心を詠んでいる。後の歌、何か大変難しい試験に挑戦している作者であろうか。「自己採点のため息」を、前に進む力に変えていこうと決意する、作者の覚悟を詠んだ一首である。
 


大井 美弥子

「もしもし」のあとの空白と母の声に祖父の危篤をわが察したり
祖父の面に掛ける言葉の出ないまま白い棺は花にあふれる


評)
前の歌、コロナ禍で面会も一度のみであったと詠まれた祖父の死を悲しく振り返る一連の歌である。危篤を告げる電話に胸のせまる作者。祖父を詠んだ歌を幾度か目にした記憶があるが、作者を可愛がってくれた、大切な祖父であったのだろう。後の歌、上の句はその時の作者の心そのままに詠まれ、下の句に悲しみがあふれてくる。
 
 
寸言

 コロナの変異株が勢いを増す中で、多くの議論のあったオリンピックが幕を開けました。このような中で、7月も様々な題材の歌が皆さんから寄せられ、改稿の度にすぐれた推敲を目にして、嬉しく、手応えを感じました。また、多くの方の歌のリズムがすっきりと整ってきたことを感じます。やはり、「継続は力なり」と改めて思った次第です。
 8月はホームページはお休みですが、オリンピックのそれぞれの種目のドラマに強く心を動かされることがあると思います。それらは大切な歌の材料として、9月までに是非歌に仕上げてほしいと思います。
 お元気でこの夏を乗り切ってください! 
             清野 八枝(HP運営委員)

 
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