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(2022年1月) < *印 旧仮名遣い > |
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小松 昶(HP運営委員)
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秀作 |
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○ |
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夢子 |
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柔らかき眼差しなりし我が実父に会いしはひと日だけの我が生
歳古りて会いたきものを我が実父は何告ぐるなく逝きてしまえり |
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評)
何かしら故あって実の父上に会ったのはただの一度であったとは、なんと寂しいことか、、。その優しい眼差しの思い出はそれゆえに作者の心の中に一層輝きを増すのだろう。そして、既に亡くなられていたとは、、、。感情を露わにせず淡々と事実のみを提示して、嘆きをより深いものにしていよう。 |
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○ |
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原田 好美 |
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夕闇に隠れる前の富士山が「それでいいよ」と語ってくれる
片麻痺の我に代わりて七年か雑煮をつくる夫の手上がる |
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評)
前:昼間は雄大さが印象的な富士山だが、夕やみに隠れるころには作者の悩みを優しく包んでくれる存在になるのであろう。その魅力的な把握に読者もほっこりする。後:病む作者に代わり雑煮を作ってくれる夫への感謝と腕を上げていることへの喜びが滲み出ている。 |
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○ |
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大村 繁樹 |
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口中に確かに在りし下の義歯外さむとして無きに気付きぬ
魚屋の匂ひに思ふリヤカーに母は粗を請ひ我ら育てき |
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評)
前:年齢を重ねるとこういう事もあろう。この作者には珍しいユーモアとペーソスの漂う歌で思わずにやついてしまった。探すと、傍のゴミ箱に有った、という落ちの歌もあった。後:幼い自分たちを貧しさにめげず、なりふり構わず懸命に育ててくれた母上を感謝と共に偲ぶ作者の心が、具体を通して坦々と詠われ、読者の胸に強く訴えて来る。 |
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○ |
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くるまえび |
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生きて来て我が人生の最期の時皆に告げたい「楽しかった」と
故郷の美しき空思い出し胸詰まらせて「赤とんぼ」歌う |
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評)
高齢に達した人の自己の人生を振り返っての感概で、結句は作者の充実した生と人々への感謝を思わせて重みがあり、読む者もほっとする。後:故郷から遠く離れた地で一生懸命歩んだ人生だが、もう今となっては帰れないのだろう。郷愁の切なさに読者の心も震えてくる。 |
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○ |
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はな |
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水仙は花つけしまま雪被り風唸り行く北陸の海
夜逃げほどの荷物と家族引きつれて娘帰省すコロナ癒しに |
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評)
前:風雪の厳しい冬の海辺にも水仙はしっかりと首をもたげて自己主張しているのである。学名のナルシサスに恥じない健気さには感動の外はない。花言葉は学名に因んでか、「自己陶酔」であるという。後:長引くコロナ禍にこの正月くらいは帰省して羽を伸ばそうという娘さんの姿がユーモラスに描かれている。娘さんの、そして、その一家を引き受ける作者の人柄、また二人の間柄が窺えて楽しい。 |
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○ |
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時雨紫 |
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亡き母の茶室と同じ香りして振り返り見ぬ和装の人を
去年の秋に逝きてしまいし母なれど香りに気配を身近に感ず |
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評)
前:すれ違った人の香に、亡くなった母上を思い出した作者。茶道を嗜む人は何か共通する匂いや気配のようなものを感じ合えるのかもしれない。後:母上は亡くなったが、その母の(茶室の)香りを嗅ぐとありありと母を感じることができる。それだけ母への思いは篤かったのであろうし、また匂いはかくも記憶を呼び戻す力に満ちている証でもある。 |
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○ |
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紅 葉 |
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「梨泰院」も終わりに近い少しだけ上を目指せる覚悟やできし
ジーンズをはけば受験に手の汗をぬぐいし記憶が蘇りくる |
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評)
前:「梨泰院」は成功を夢見て頑張る貧しい若者たちの韓国ドラマだが、その覚悟が自分にできたか、と上を目指す試験をまた受けようとする自分に問うている。作者の心の揺らぎが窺われて魅力がある。4句、原作は字足らずの「目指す」であったが、定型に直した。後:かつて受験の緊張に手に汗を握ったものだが、ジーンズを履くといまだにフラッシュバックするのだ。受験はかくまでも人生に深い傷跡を残すものなのだ。 |
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○ |
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鈴木 英一 |
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久々に母のみ墓に黙祷すれば我を見送りし面影浮かぶ
久しぶりの山手線の乗客は皆マスクつけ口数少なし |
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評)
前:親から受けた愛が大きければ大きいほど、子の親への感謝や思慕もまた強いと思われるが、その意味で、幸せな作者なのだろう。読者もまた己の母をしみじみと偲ぶのではないか。後:作者は基本が在宅でのテレワーク勤務なのだろう。最近のオミクロン株の急増が第六波ということで、電車の乗客もコロナ禍での生活がすっかり板に付いた様子が見て取れる。 |
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○ |
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鮫島 洋二郎 |
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冬天を映す水面をあちこちと泳ぎ去り行く番ふにほどり
吾が育ちし築百年の家に見したわわなるひょんの実今は無し |
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評)
前:仲のよいカイツブリの二羽が方向を変えながら、しかし確実に作者から遠ざかってゆく。そのさまをじっと見つめる作者の寂寥感が伝わる。後:ひょんの実はイスノキの「虫こぶ」で、虫が出た後は穴が開き、ヒョウと鳴る笛になる。古くからある家に育った作者の、郷愁と時の移り変わりへの思いが胸に響く。定型になってはいるがやや読みにくいので、4・5句を「たわわなるひょんの・実の今はなし」とか「たわわなるひょんの実・今はもう無し」などとすると字余りながら読みやすくなる。 |
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○ |
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はなえ |
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庭先に凧揚げをする甥っ子の朗らな声に心の躍る
晴天にはたはたと舞う赤い凧アンパンマンの顔が笑みたり |
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評)
二歳の甥っ子さんの可愛い盛りを詠み、具体を通して作者の気持ちが伝わってきて楽しい歌になっている。特に後の歌では、下句の凧の生き生きとした描写によって、作者の心弾みがうまく表現されている。 |
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佳作
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○ |
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源 漫 |
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本の山をつくり多くは読まざれどその高さのみを見ても楽しき
自転車が雪解けの街を走りつつ鳴らすベルの音澄める元旦 |
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評)
前:本の好きな人ならその気持ちが分かるだろう。積読でもいつかは、全部ではないにしても読むことになるのだから満更無意味な事ではないのですね。後:雪解けの街も、やはり正月は気持ちの改まるときで、車も少なくて清々しく、自転車のベルがひときわ澄んで聞こえるのでしょう。清々しい雰囲気のある歌。 |
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○ |
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はずき |
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年二回の検診なれど担当医に面会叶うは一年半振り
初対面の今回選びし女性医師地方生まれで優しい笑顔 |
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評)
コロナ禍で長い間対面の検診ができなかったのだ。それがやっと叶う安堵感が滲む。しかも、話しやすくて優しい先生であればなおさら安心だ。そんな気持ちが歌に漂っている。 |
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○ |
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黒川 泰雄 |
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寒き道はっと気が付き上を見るマンションに響く目覚ましの音
久しぶり何してたのと尋ぬれど耳が遠いか話ちぐはぐ |
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評)
前:どこかのマンションの一室から目覚ましの音が聞えて来たというだけなのだが、その住人はどんな人か、すぐに起きたのか、など読者の想像が様々に膨らむ。後:こういう事はある年齢に達すると有り勝ちだが、どこか拘泥感がなくのほほんとしていて心が和む。 |
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○ |
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清太郎 |
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キセルにて刻み煙草を吸う爺の叩き落としし赤き火の玉
深々と頭を垂れて新年を寿ぐ我が子も五十を過ぎぬ |
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評)
前:坦々と詠まれているが、「爺」の不思議な存在感と何かしら懐かしい雰囲気を感じさせる。結句の「赤き火の玉」が印象鮮明で、一首を見事に引き立てている。後:上の句にこの子息の礼儀正しい人柄が浮かぶが、その子息に過ぎた五十年余の重みを父である作者は感得しているのだ。それはまた、作者自身の五十年余を振り返ることなのでもあろう。歳月は取り返しがつかないが、それに勝るとも劣らないある宝物を与えてもくれるものなのだ。 |
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○ |
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愛子 |
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雪道に湯はあふれゆくコロナ禍に凍ゆる小さき温泉の町 |
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評)
雪国の温泉街の雰囲気が彷彿とする。温泉の町が擬人的に「コロナ禍に凍ゆる」ともとれるし、作者が温泉の町にいて凍えるともとれよう。後者では、作者の身体のみならず心の表現でもあろう。季節感のあるしみじみとした歌だ。今回は初稿が一首のみのであったので便宜上ここに揚げたが、次回は是非最終稿を3首お出し下さい。 |
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寸言 |
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コロナ禍の時代も丸二年になりました。この投稿欄の人々もコロナ慣れのためか、コロナ関連の歌は減ってきている感じがします。この度のパンデミックは百年に一度の大事件です。心と目を凝らせばまだまだ歌い残していることがありそうです。コロナに限りませんが、現実を意識的に日々新しい心で見つめて貪欲に詠みつくしましょう。
小松 昶(HP運営委員) |
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