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今月の秀歌と選評



 (2022年6月) < *印 旧仮名遣い

小田 利文(HP運営委員)


 
秀作
 


吉井 秀雄 *

春菊を刻めば強く香は立ちぬ老人ホームの朝の厨に
「今朝からは食事中止です」とある人の食札ひとつ棚に戻しぬ


評)
高齢者施設で働く作者の職場詠である。同じ朝の厨の光景であっても、家庭でのものとは違う心地良い緊張感が二首ともに感じられる。特に二首目の下句が簡潔で良い。
 


廣 *

けふの日を葡萄畑に汗せしとスマホに残るが終のメールぞ
見晴るかすライブカメラは在りし日にともに歩みし祖母山を映す


評)
親しかった人に寄せた追悼歌である。一首目、 初稿からあまり変わってはいないが、細かなところを工夫してより整った一首となり、作者の深い思いが伝わってくる。二首目、「ともに歩みし祖母山」と具体的な描写にしたことで、深い味わいのある作品に仕上がった。
 


鈴木 英一 *

懐古園の展望台に人気なく恣に見ぬ千曲の流れを
スピーカーから佐久の草笛流れをり奏者と話しし昔日を想ふ


評)
小諸城址懐古園での連作である。一首目、すっきりと整った作品に仕上がり、読む者にゆったりとした時間の流れを感じさせてくれる。 二首目、観光名所を詠む場合同じような内容になりがちだが、作者固有の思い出が詠まれており、心惹かれた。
 


はな

大樟の葉擦れの音を聞いているベンチに憩う人に交じりて
朝採れの筍ごろんと置かれおり触るればほのか温もりを伝う


評)
一首目、初稿にあった説明的な感じがなくなり、作者の思いが伝わり、爽やかな印象を与える作品となっている。二首目、作者の丁寧な観察とユニークな表現が生きた、読んで楽しい作品となった。結句の「伝ふ」は仮名遣いを統一して「伝う」と直した。
 


はなえ

「ふわふわのおいしい」と笑み甥っ子は吾の作りしパンケーキ食む
母親を見送りしのち顔あげて二歳は「どうぶつゼリー」をねだる


評)
一首目は初稿のままだが、甥御さんのセリフをそのまま取り入れた上句が効果的で、作者の愛情が作品から伝わってくる。二首目は改稿ごとに良くなった作品であり、上句が説明的でなくなったことで下句の描写が生きて、甥御さんの愛らしさが伝わる作品となった。
 


時雨紫

ひと呼吸入れて心を定めしか検査結果を見つめいる夫
階下より食事を運ぶ足音に突として夫の咳静まりぬ


評)
夫君がコロナウィルス感染症陽性となったという大変な状況だが、二首ともにその事実を客観的に詠み、ご夫婦で落ち着いて慎重に対応する様子がわかる。後遺症などなく元の生活に戻ることができるようお祈りいたします。
 


原田 好美

本当に久方ぶりの美術館聖母子像に惹かれ佇む
ダミアンの桜を観たり数多なる絵の具のドットに心の緩む


評)
一首目の 富士山号の窓より見ゆる緑濃し心はMETの展覧会へ(METはメトロポリタン美術館) に続く連作である。採用した二首ともに展覧会を鑑賞した様子が良く描かれているが、特に二首目の具体的かつ簡潔な描写は、その絵の前に立ったかのような思いを抱かせてくれる。
 


紅葉

寝る前の勉強会に興奮のなおも続いてうまく眠れず
後楽園の五月の雨にかけがえのなさを感じて声の出でたり


評)
初稿へのコメントだけでここまで仕上げたところに、作者の確かな力量を感じる。とりわけ二首目は、五月の雨の日の感じをうまく表すことに成功している。
 

佳作



はずき

花と香の個性溢れるレイ作り五月一日レイデーハワイに
ブルーリボン付けられし栄えある受賞レイ「マウソレアム」に奉納さると


評)
日本ではまだ知らない人も多いと思われる「レイデーハワイ」の雰囲気を味わわせてくれる、読んで楽しい二首。特に二首目は現地で取材した作者ならではの内容であり、読み応えがある。
 


久遠 恭子

紫陽花の花弁に絡む露一つ指先に付け唇に置く
爪痕を付けてみたいと想えども遠き貴方に触れる時来ず


評)
二首ともに日常からは遠い印象を与える作品だが、この作者独自の雰囲気を漂わせており、次作を読んでみたいと思わせる魅力がある。
 


夢子

お茶の葉を少し多めに入れている嬉しいことの今日多ければ
iPad を手より離さず生きているこんな老後は思いみざりき


評)
一首目、日常の中の小さな喜びが素直に詠まれており、共感できる作品である。二首目、現代に生きる高齢者の一つの姿が良く描かれている。
 


くるまえび

今宵また冷たき雨の降り出でて読書に耽ける暖炉の前で
我が妻は心注ぎし園芸の花に囲まれ老後楽しむ


評)
「余生は楽しく」と詠む作者の豊かで落ち着いた余生の様が詠まれた二首であり、読む者の心を和ませてくれる。これからも作者独自の境地を詠み続けていただきたい。
 


大村 繁樹 *

「無差別攻撃は戦争犯罪」とバイデン氏日本への原爆投下は如何に
戦争は正義などなき殺し合ひ桜葉なみのさやぐに思ふ


評)
第二次世界大戦末期の米軍沖縄上陸の映像をテレビで観たとき、この一首目の歌を思い浮かべた。「原爆投下」はもちろん、作者の初稿にあった空襲を思い浮かべて共感する読者もあるだろう。二首目は上句と下句が相まって味わい深い作品に仕上がっている。
 


鮫島 洋二郎

戦無く七十余年の国に住みかかる干戈かんかの在るを思わず
麦秋の豊穣あれどコザックの地平かなたに砲声止まず


評)
ロシアによるウクライナ侵攻を詠んだ二首で、特に二首目の方に作者の感性が良く表れている。最終稿の三首にはなかったが、「米中露三国は覇権争ふかマクロ政治の複雑怪奇」は初稿からのめざましい前進が見られた一首。
 


はるたか

オキシメーターの表す波形はわが脈の正しく打ちている証なり
九十四のわれの怠さは不老不死の薬飲まねば治らぬと医師は


評)
94歳というご高齢の作者ならではの、自らの生命に向き合って詠んだ作品であり、特に一首目の新しい素材に挑戦した意欲的な内容に注目した。
 
 
寸言

 今回も皆さんの作品作りの過程に関わる中で、それぞれの日常や思いにその一端であっても触れることができ、貴重な時間を過ごすことができた。投稿者の皆さんにとっても、少しなりとも有益な時間だったと感じていただくことができたのであれば幸いである。次回またご一緒できることを楽しみにしています。
           小田 利文(新アララギ会員)

 
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