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今月の秀歌と選評



 (2022年11月) < *印 旧仮名遣い

大窪 和子(新アララギ編集委員)


 
秀作
 


吉井 英雄 *

阿形吽形二体の仁王の立ち姿枝垂桜はひたぶるに散る
山門は枝垂桜の傍へにて朽ちゆくものと散りゆくものと


評)
阿吽の厳しい仁王像を包むようにひたぶるに降り注ぐ枝垂桜の花びら。 何とも鮮烈で美しく印象的だ。二首目ではその力強い光景の中に、古びて 朽ちゆく山門の風情とひと時に散るさくらの哀れを捉えている。正に秀作といえよう。
 


はな

蕎麦の実の刈られし畑に紅の茎残されて明るき夕べ
菊の下に野良の子猫の骸あり乗せてあげたい夕焼け雲に


評)
刈り取られたあとの蕎麦畑が明るく詠まれた。残された茎の紅さが独特だ。二首目は野良の子猫の骸への優しい作者の思いに胸を衝かれる。下の句に切ない詩情があり、心に響く作品となった。
 


鈴木 英一 *

高野山の霊宝館を訪ねしも制多迦童子なく運慶に会へず
不覚にも血圧検査にどきどきし高めの数値なかなか落ちず


評)
一首目は旅行詠だが、仏像の名や運慶という仏師の名が出て、通り一遍でない作者の気持が表れた。二首目は一転、日常のなかで誰でも体験するような事柄が生き生きと詠まれて、共感できる。
 


時雨紫

和服より仕立てられたるドレスショー主婦らモデルとなりて着こなす
紅引きてロングドレスに身を包む踵の音さえ華やげる夜


評)
和服からドレスに仕立てたのはモデルとなった主婦たちなのだろう。結句の「着こなす」で彼女らのショーの成功が目に見えるようだ。連作二首目の華やかな雰囲気にも闊達な主婦たちの姿が浮かび上がって魅力的だ。
 


黒川 康雄

目は青く犬と見まがう猫が行く「おーい大将」俺と遊ぼう
起きぬけの暗い空気を吹き飛ばす玄関にする孫のひと声


評)
目が青い堂々とした猫。その猫に呼び掛ける下の句がなんともいい味を出していて魅力的。作者の人柄も想像できるようだ。二首目は朝の爽やかな一コマがありありと伝わって共感できる歌。
 


夢子

掻痒感いつも感じて生きているもうすぐそこに手が届きそう
根に持つという事のない君さっぱりと忘れてしまう良き性をもつ


評)
人は皆、何かしらもどかしい思いを抱いて生きている。このままでいいのだろうか、と。そして肝心なものに手が届きそうで届かない・・。掻痒感を心理詠として上手く捉えて成功している。二首目はパートナーさんのこと?お幸せに!
 


廣 *

若き日に思ひ交はししひとの名をけふ地方誌の訃報に見出づ
叶ふならあなたに続くこの空と過ぎし時さへ手繰り寄せたし


評)
思い出は切なく美しいもの。ましてや思いを交わした相手であれば尚更。こんなロマンティックな思い出を晩年に持っていることは幸せなことと思わせる歌。
 

佳作



紅葉

ひと頃は座れたはずの東京が東京らしくなってきたらし
うしろ背の朝の陽ざしの温かし試験本番十日前となる


評)
初稿から一気に最終稿へ飛んだけれどうまく纏まっている。一首目、上の句の「はずも」は「はずの」とした。一頃驚くほど空いていた電車がいつの間にか混むようになって来た。それを東京らしいと捉えたところが見どころ。二首目は試験の日を楽しみに待っているような気分が伝わる。
 


原田 好美

一筋の雪なき青富士朝日受け色濃く深く高く聳ゆる
一夜にして雪つもりたる富士の山白き山肌朝日に染まる


評)
富士の見える住まいに近頃引っ越したという作者。毎日移り変わる富士山の姿に感動している様子が伝わる。富士は描くのも詠むのも難しいと言われるが日々の暮しの中で飽きずに挑戦して行けばきっといい作品が生まれると思う。
 


はずき

日本風提灯赤白緑の宮殿はカラカウア王の誕生日祝えり
フラを愛し国民を愛せし国王は「メリーモナーク」その名に今も


評)
かつて王国であった太平洋の島ハワイは昔から日本とは深いえにしがあると聞く。民族衣装であるアロハシャツのユニークな柄も元は和服に由来するとか。親日家だったメリーモナーク、その連作は興味深い。
 


大村 繁樹 *

竹田川が九頭竜川に合流し大海を望む河口開けぬ
冬芽立つ桜の古枝に鵯一羽朝日に向かひて高く鳴きたり


評)
竹田川は九頭竜川と河口付近で合流しているのだろうか。そこを強調してはどうか。苦労をした割には景色がくっきり浮かんでこない。二首目は鵯の動きが鮮明で朝日に向かって鳴くその声が聞こえてくるようだ。
 


久遠 恭子

微睡みに身を委ねれば思い出すあなたと交わした別れの言葉
わが犬が水を飲む音可愛くて居心地の良いわが家の暮らし


評)
一首目、ある情緒は感じられるが、結句に寄りかかっているようで軽い。二首目は飼い犬の水を飲む姿を捉えていてユニーク。居心地のいい暮しの象徴として描いていてほのぼのとした歌になった。
 
 
寸言

 冬に向かってまたしても蔓延し始めた新型コロナウィルス。めげずによい作品が寄せられたことを喜んでいる。近頃とみに感じるのは短歌作者の高齢化である。若い頃或いは中年から詠み続けてきて自ずと年を重ねてきた人たち、それなりの思いもあり力のある人たちの目によって詠まれる現代は興味深い。また高齢になって歌を始めた人たちの人生背景の重みにも興味を感じる。
 そして今短歌の世界で将来を期待されている若い人たち、新鮮な眼差しで現代を闊達に詠って欲しい。貴方たちの未来が短歌の未来でもあることを心にとめて。
           大窪 和子(新アララギ編集委員)

 
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