作品投稿


今月の秀歌と選評



 (2022年12月) < *印 旧仮名遣い

小田 利文(HP運営委員)


 
秀作
 


はな

淋しさを言わず逝きたる父のメモ来春京都と弾む文字あり
今帰る弾んだ声をもう一度聞きたしと思う一人の夕餉に


評)
一首目、父親の状況を丁寧に詠んだ一首全体から、父親に寄せる作者の思いが良く伝わってくる。二首目、初稿「今帰る弾んだ声をもう一度聞きたいと思う一人の夕餉」にほんの少し手を入れて、読者の心に届く作品に仕上 がった。
 


原田 好美

薄化粧した富士の山陽射し浴び細かな雪の筋際立てり
白菜の太く育ちし畑にてコキア赤々と縁を彩る


評)
一首目、初稿のままだが、富士山の冠雪の様子を丁寧に詠み、作者の感動が伝わる作品となっている。二首目、丁寧な観察と的確な表現で、作者が目にして感銘を受けた光景を読者に伝えることに成功している。
 


廣 *

春を待つ妻の好みのチューリップ狭庭に植ゑぬ四十余りを
打ち捨てて置きし苺は冬を耐へ数多咲かせぬ真白き花を


評)
一首目、初稿を生かした下句に作者の工夫が感じられ、作者もまた「春を待つ」心情であることを感じさせてくれる作品となっている。上句は初稿のまま、下句も語順を入れ替える等わずかな推敲だが、読み応えのある作品に仕上がっている。
 


吉井 秀雄 *

真白き手思ひ出しをり吾に酒を注ぎ呉れたるウクライナの娘の
ウクライナの戦乱に思ふあの人はツマラナイカラヤメロと書いた


評)
一首目、作者独自の体験を通してウクライナ情勢を憂える作者の思いが伝わってくる。二首目、添え書きがなくても誰もが「宮沢賢治」の名を思い浮かべるだろう。「ツマラナイカラヤメロ」という多くの人の思いを、賢治の作品を引用して表すことに成功した。
 


鈴木 英一 *

長谷寺のもみじ回廊登りきり舞台より望む甍の波を
空海を解りたしと来し高野山深き信仰堂宇に覚ゆ


評)
一首目は結句を初稿の「一望かなふ」から最終稿のように工夫したことで、作者の感動が読者に伝わる作品となり得た。二首目は作者が苦心して推敲を重ねた結果得られた作品であり、初稿「空海の開きし道場高野山あまたの堂宇は信仰の証し」と較べ、作者の思いがより良く表れている。
 


紅 葉

今回も手がふるえるのかあとがないわけでもないのにきっとそうなる
約束の再現答案を提出す振り返りたくない気分のままに


評)
一首目、初稿から飛躍的に整った一首となった。二首目、一首目と同様、作者の独自性が存分に発揮された作品であり、読み応えがある。
 


久遠 恭子

冬月に心寒き日も朧なる蝋燭灯るをしばし眺めぬ
友達がいてくれるから生きられる名前呼ばれる言葉を交わす


評)
一首目、下句がすっきりと整ったことで上句に込めた作者の工夫が生きた。二首目、ストレートな表現だが心に沁みてくる作品。下句の心地良いリズムが一首を魅力的なものとしている。
 


清水 織恵

ひとり席窓に向いて並んでる紅茶頼めば雲ついてくる
カレーの人蕎麦食べる人に挟まれて買い来しばかりの歌集をめくる


評)
一首目、上句で店内の光景を簡潔に表現し、下句に作者独自の感性が感じられる魅力的な作品。二首目、試行錯誤を重ねて味わいある一首に仕上がった。最終稿にはなかったが「カフェの席マスクはずしてどの人も微かにひとつため息を吐く」も、世相を映して読み応えがある。
 

佳作



はずき

感謝祭の集い今年は三年みとせぶり五人の笑顔がテーブルに揃う
テーブルにカットされたるターキーが真ん中におり主役の顔で


評)
一首目、コロナ禍が収束しない中でも友人との再会が叶った喜びが一首にあふれている。二首目、三年ぶりの食事会のハイライトが効果的に表現されている。最終稿にはなかったが「デザートの特大パフを食しつつ来年もまたと最後の乾杯」も作者の個性が感じられる作品。
 


大村 繁樹 *

九頭竜川の河口の土手に欅一木晴れ渡る空に枝掲げ立てり
土手を下り枯れ葦原のさやぐなか左に右に川音聞ゆ


評)
一首目、改稿を重ね作者が伝えたい光景がよく表れた作品となった。二首目も作者の工夫が生きて、しみじみとした味わいのある一首とすることができた。
 


はるたか

四捨五入すれば百だと妻が言う九十五歳となりたるわれに
家事一つ出来ねば妻より先に逝くを願いて努める老老介護


評)
一首目は結句の「我に」を「われに」としたほかは初稿のままだが、ほのぼのとした雰囲気が伝わってくる作品である。二首目、「老老介護」の一端をあるがままに表現し、共感の得られる作品に仕上がっている。
 


完全お欠

美味なるもソーセージのみは飽き足らず我が胃袋はパエーリャを欲す
タスキ無く勝手に伴走したけれど一キロも持たず無念のリタイア


評)
一首目、推敲を重ね、一首全体に芯が通って作者の思いが良く伝わってくる作品となった。二首目、作者の体験や思いがスムーズに伝わる作品に仕上がっている。“柿食えば余りの渋さに顔しかめ「干し柿みたい!」と家族が笑う”にもほのぼのとした雰囲気がある。
 


夢 子

何を言っても分からないさと若者に肩をすくめて孤独になりぬ
無理を言い我儘を言う我と居て君の額の皺深まりぬ


評)
一首目、推敲を重ね、最終稿で作者の思いが伝わる作品にすっきりと仕上がった。二首目、作者と「君」の関係が具体的な描写で表現されている。最終稿にはなかったが、「来年も五年日記を買うつもり終わる年には九十三歳」にも、作者の境遇が良く表れている。
 


時雨紫

抱えいるバッグの底の『利休百首』動かぬ列に行の進まず
前列に足踏みしいる老夫婦今一万歩と朗らかにレジへ


評)
一首目、『利休百首』という具体的なタイトルが一首の中で生きている。二首目、複雑な場面をうまく一首に仕上げることができた。作者の今回の作品の中で、最も読み応えを感じた歌である。
 
 
寸言

 秀作、佳作を問わず、どの作品も読んでよくわかる作品に仕上がっており、落ち着いて鑑賞することができる。初稿のままかほとんど変わらない作品もあるが、多くは推敲を重ねて苦心の結果得られた作品である。初稿から最終稿に至る地道な検討・工夫の積み重ねが、読者の共感や感動を呼ぶ作品作りにつながっていることを、今回改めて感じさせてもらうことができた。
           小田 利文(新アララギ会員)

 
バックナンバー