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今月の秀歌と選評



 (2023年7月) < *印 旧仮名遣い

小松 昶(HP運営委員)


 
秀作
 


原田 好美

紫陽花の花のむらさき濃くなりて池のみぎわに端然と在り
日だまりに群れて咲きいるネジバナを車椅子より乗り出して見る
十八に成りぬと告げて介護士は襁褓替えくれ笑顔を残す


評)
一首め、紫陽花をよく観察していて、そのすっくと立ち、ある種の威厳さえ感じさせる姿が結句に端的に表現されています。なお、原作は(みぎは)でしたが、作者本来の現代仮名遣いに統一しました。二首め、ネジバナは細い茎に小さな薄紫の花が螺旋状に咲き上っている花ですが、作者は車椅子ゆえに近づけず、その花をよく見ようと身を乗り出しているのでしょう。花に少しでも近づいてしっかり見たいとの懸命さが読者の心を打ちます。三首め、若い介護士の、障害を持つ作者への温かい心遣いが嬉しい。原作は「告げし」でしたが、その場で言ったのでしょうから、「告げて」としてみました。
 


はな

永平寺の大屋根濡らす梅雨豪雨世の塵芥を洗い流して
幼子はサンダル揺らし母の読む絵本に聞き入る雨の病院
病院の広き廊下を拭く人よありがとうねと声を掛けたし


評)
一首め、道元禅師の只管打坐(しかんたざ ただひたすらに坐ること)を伝える永平寺に相応しい下句ですね。二首め、雨の日の病院での嘱目詠。病児でしょうか、「サンダル揺らし」「聞き入る」が児の心理を窺わせて素晴らしい描写になっています。三首め、病院の中で目立たない職種の人にも感謝の心を向ける作者の人柄がよく出ていています。次回は実際に声を掛けられるとよいですね。
 


大村 繁樹 *

深酒に友を罵り戻り来し九頭竜川に葦切ヨシキリの声
明け初めし葦原をち川のを飛び交ひ鳴ける葦切幾羽
展示会の越前和紙に蘇る捨て身のアッパー彼の日の我も 注:あしたのジョー


評)
一首め、深い後悔の思いを抱えて故郷の川に帰ったが、そこに待ち受けていたのはヨシキリの厳しい非難の声であったのでしょう。心は一層重くなる、、。二首め、夜明けの頃に川辺に来た作者には、何か心に期するものがあったのか。ヨシキリも既に鳴きかわしているが、、。三首め、特産の和紙に印刷されたボクサーのジョーの漫画をたまたま見た作者、ジョーの波乱に満ちた人生に己のそれを重ねて、深い感慨に耽るのでしょう。この作者の歌にはいつもゾクッとする短編小説を思います。
 


夢 子

懐かしく『かぜのてのひら』読み返し万智さんを遠く恋いつつ眠る
目の検査無事に済ませてあと二年運転できる免許をもらう
二年後に九十一歳になる我の運転免許じっと見つめる


評)
一首め、大好きな俵万智さんへの思いが伝わって来ます。四句、原作では「万智さん遠く、、」と定型でした(それで勿論よいのです)が、「万智さんを」として意味の通りやすさを優先してみました、字余りといっても気にならない程度なので。二首め、日本では高齢者の運転事故が多発しており、認知試験や実習などかなり厳しくなっています。ハワイではそれほどではないようですが、更新できた安堵感が伝わります。三首め、「じっと見つめる」に更新できた嬉しさや、二年後の高齢による不安など、様々な思いが込められています。
 


廣 *

吾を知る者ことごとく絶えよかしと思ひて過ごしし夜の長かりき
けふの日は誰とも会ふまじと気を塞ぐ鏡の中の不機嫌な顔
傷つけしひとの痛みは玉の緒の絶ゆる時まで尽くるなからむ


評)
内容の重い歌で、作者の気持ちもきちんと書けていますが、それを引き起こした大元が観念的かつ概念的で、読者の感想も、そういう事ってあるよね、、で済まされてしまいそうです。もう少し具体描写があると、歌がグッと立ち上がり、読者の共感も強まると思います。
 


はるたか

耳元のラジオの轟音はたと止む死ではなかった昼寝より覚む
老衰に入りたる齢に相違なき八十四歳の妻に看取らる
賢くて働き者の妻連れてあの世とやらへ行きたきものを


評)
一首め、一瞬ドキッとする内容を飄々と詠じ、ユーモアとペーソスをも感じさせる超高齢者ならではの歌と言えましょうか。二首め、やはり高齢である妻への思いやりと感謝が胸に沁みて来ます。三首め、表向きは、作者の役に立ってくれる妻だからという偽らざる気持ちとは思いますが、その裏に、一人この世に残される妻が不憫に思えてならないという心情もあるのかもしれません。評者より四半世紀ほど長生きをされている作者の歌には、奥の深いものがありそうです。
 

佳作



鈴木 英一 *

園児らに音叉をチーンと打ちやれば女児の一人が手合はせ拝む
水ロケットを作る子に親はつきつきり少子化の今をつぶさに見たり
一面に広がる水田に白鷺がえものに狙ひを定め構へる


評)
一首め、女児の純真さや家庭環境が想像できて楽しいですね。二首め、少子化の実際を具体的に示して説得力があります。ただ、水ロケットはやや危険を伴うこともありそうなので、少子化でなくても親は付きっ切りが適切かとも。三首め、初稿では広い田のどこかに白鷺がいるという歌でしたが、改作では白鷺に焦点を合わせて、慎重に獲物に忍び寄り、長い首を折りたたんで嘴を突き出す準備をしている様が目に浮かび、印象深い歌になりました。
 


はずき

ケネディの敬いし上杉鷹山はまず人に尽くす「先施の心」
破産近き米沢藩を鷹山は「先施の心」に建て直したり
鷹山の施しし政治は「北風と太陽」の寓話に通ずるものあり


評)
本を読んで感動をした作者の作。初稿ではいきなり「先施の心」が出てきましたが、この意味を知らない読者にもある程度分かるように、直していただきました。大雑把ではありますが、作者の思いがある程度伝わる一連になっていると思います。また、ケネディの表記は廣さんのご指摘に従いました。
 


黒川 泰雄

元部下の出世の便り掛け値なし「おー」と声出し独り喜ぶ
昼下りスマホ忘れた散歩にも平穏無事に雲は流るる
埃ふき古いスマホに充電す老犬逝きて写真を見むと


評)
一首め、部下思いの作者の人柄の良さが偲ばれます。二首め、作者特有の人生を達観したようなまじめなおかしみが滲み出ています。三首め、亡くなった愛犬の古い写真をしっかり見ようと、古いスマホを充電して更に埃を拭く作者。愛犬への思いの深さが思われます。
 


紅 葉

土曜日は後部車両がすいているこの学習にふた月のかかる
婚約をしたとう報せ三十を過ぎれば勝手を通り越したり
母御とはつまらないものくっつけば離れる子の心配をする


評)
一首め、通勤には大事な学習ですね。結句は「の」を取り、定型にする方が 歌がしっかりします。二首め、作者のお子さんでしょうか、息子と娘では読者の受け取り方が異なりますが、ほぼ結婚適齢期の子を持つ親の心配をよそに勝手が過ぎるという嘆きでしょうか。有り勝ちな事ではあります。三首め、本来なら、「母親とは」となるところでしょうが、敬語にしてあるのは、諧謔を意図しているのでしょうか。「くっつけば、、」の素っ気ないもの言いや下句の字足らずは、評者としては気になりますが、作者の個性としてそのままにしました。
 
 
寸言

 今回も先月同様に、少数精鋭と言うべき作品群であった。先月の寸言にもあったが、日々の現実生活における感動を、飾ることなく、素直にありのままに具体的に表現する事で思いの深い歌ができていると思う。皆さんの進歩は、月単位では分かりにくいが、年単位では明らかになっている。更なる進歩には、日々、アンテナを張り巡らせて、小まめに歌にしていくこと、また、特に近代や現代の優れた歌人の歌を多く読むことが肝要と思う。次回も楽しみにしています。
           小松 昶(HP運営委員)

 
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