短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 (8) こほし・こほしむ (3)

 前回は「こひし」の古形と目される「こほし」について書いたが「悲し」から「悲しむ」、「苦し」から「苦しむ」というように形容詞は動詞を生みやすい。 しかし、「こひし」から「こひしむ」という動詞が出て来てもよさそうだが、これはちょっと見当らない。 ところが「こほし」から出た「こほしむ」は歌の上には割に多く見かける。
今、佐藤嘉一氏の「索引」で、茂吉の用例を引くと「こほしみ」「恋(こほ)しみて」「恋(こほ)しみかはす」「恋(こほ)しみにけり」「こほしみぬ」「恋(こほ)しむがごと」などという形で主に昭和以後だが、十例ほど見える。
この「こほしむ」で思い出すことがある。 普通の辞書にはこの歌言葉を載せないが、小学館の日本国語大辞典の第七巻(昭49)に、「こおしむ」として出し、「悲しく思う。『こひし』の古形『こおし(こほし)から類推して作られた語。」として茂吉の「小園」の「のがれ来てわがこほしみしはしばみも木通もふゆの山にをはりぬ」を例に出しているのだ。 茂吉に「こほしむ」の用例が多いから日本国語大辞典でも採用したのであろう。
「こほし」と同じく「こほしむ」も、茂吉の歌が一般化する原動力となったものと言ってよい。
その茂吉は左千夫の明治三十九年作、

     きのふ見しおくの沢辺の花原を猶こほしみと又のぼりきぬ

などから導かれて「こほしむ」という動詞を作ったのではなかったか。 「こほしみと」は左千夫自身は、ただ万葉の「賢(さか)しみと物言ふよりは」(三四一)というような語法から学んだだけで、形容詞か動詞かという意識もなかったものと思う。 万葉のサカシミは、サカシという形容詞に理由を示すミをつけたので(「賢しみと」は「賢いから」という意。) 動詞ではないのだろうが、これには異説もあるようだが、それは今どうでもよい。

 ついでに「さびしむ」に触れておこう。 広辞苑を見ると「さびし」という形容詞の動詞転用であるとして「現代の和歌に多く用いる」と説明している。 「さびしむ」と言えば茂吉の

     松かぜのおと聞くときはいにしへの聖のごとくわれは寂しむ

の名歌を思い出す。

筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者

大いに歌いましょう 吉村 睦人


 「啖呵を切る」ように「短歌」を作りましょう。 今の世の中、「啖呵を切りたいこと」が山ほどあります。
それに短歌をぶつけましょう。 もちろん、心しずかに、心やさしく歌いたいこともあるはずです。 それらも大いに歌いましょう。
短歌は古くて新しい詩形です。 なにしろ、記紀、万葉集の時代から現代につづいています。 そして、その時々に、その時々の言葉で、その時々に生きた人々の感情をいきいきと表わして、その時代に生きた人たちの共感を呼ぶとともに、優れた作品は、長い時代を生きつづけて現代の私たちの心をも打つものとなっています。
短く手ごろな大きさです。 物事の要点を簡潔に的確に掴み取る習練にもなります。 内容に合わせて口語発想でもよいし文語発想でもよいのです。 口語も文語もすべて私たちの言葉です。
自由に選んで必要に応じて自由に使えばよいのです。 大いに歌いましょう。

筆者:「新アララギ」編集委員、選者

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