大きし (2)
万葉集には「大き御門」「大き聖」「大き海」などという「大き」という形があった。 岩波古語辞典の「おほし」の項に「大し・多し」とし「オホ(大)の形容詞形。 容積的に大きいこと。 また数量的に多いこと。」とある。 「大し」という終止形は理論的に考えられるだけで実例はないのではないか。 「多し」の方は今触れないことにして、万葉人は「大き海」とは言っても、「海は大きい」という発想は持たなかった。 あるいは持っても表現化しなかったのだろう。 後に漢文の訓読とも関係するらしいが、「大きなり」という語が生まれ、伊勢物語に「武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる川あり」とあり、また「白き鳥の嘴と脚の赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」の「大きさ」のような言い方も発生した。 「大きなる」から今の口語の「大きな」が出て来た。
こういう歴史は、国語学者が検討していることと思うが、要するに修飾語にも述語にも使える「大きい」という形は、室町時代になってやっと誕生した。 その「大きい」を逆に文語の形にしたのが「大きし」である。 これは、古典の和歌は勿論、散文にも用例がないのだから、なじめない感じがするのも無理はない。 始めに文明作の「ちかく大きし」を挙げたが、この歌人の「大きし」はここだけである。
[参照・再掲]
空高きくもりの下に横はる釜無山はちかく大きし 土屋文明
「ふゆくさ」
「大きく」という形も、古くないのだが最初に挙げた茂吉作のように「大きかりけり」「大きくもあるか」の類については、何も抵抗を感じないのは、終止形と違って形容詞の連用形は、文語口語の差がなく、「大きく」も、ほかの形容詞の連用形と同様にそのまま受け入れられるためであろう。
なお「大きし」に関連して言及したい言葉がある。 浅間山を詠んだ左千夫の「霜枯野のうすくらがりに大(おほき)けき悲しき山が煙立て居り」という歌の、「大けき」という語についてである、これは次回に廻すことにしたい。
筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者 |