短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

あざやけし・やすらふ(1)

 歌よみの間では何げなく使っている言葉でも実は辞書には収録されていないという例は、よくあることである。私事で恐縮だが、私が昭和十五年一月にアララギ会員となり・その月の青山の発行所の面会日に初めて出席した時、土屋文明先生に取っていただいた歌に「息づきて登りし山のなだりなど夜半(よは)にぞ思ふ恋しかりけり」というのがある。この歌で『山のなだり」と言っているが、当時「なだり」という語を少年の私が使用するくらいでは、歌の世界ではもう一般的に使われていたに違いない。ところがこの「なだり」が辞書には見えないのであった。広辞苑も第二版までは項目に立てなかったが、今度の第三版に到って、やっと「なだり[傾](ナダレの転)斜めに傾くこと。また、そのような地形。」として収録されるようになった。古典には例がないが、今の歌人連中が使っているから載せておこうという配慮によるものかも知れない。それならばほかにも載せてほしい歌言葉が幾つかある。そのなかでは今回は「あざやけし」と「やすらふ」について述べたいと思う。

 「あざやけし」は、現代の歌人の作品中から見つけることは困難ではない。月々の短歌雑誌からも幾つか発見できるに違いない。私どもにとっては日常語に近いしたしみがある。ところがなぜかどの辞書にも採られていないのだ。前にも書いたが、「さびしむ」につき、広辞苑では「さびしがる。さびしく思う。『悲し』『悲しむ』の場合と同じく、形容詞の動詞転用。現代の和歌に多く用いる。」と説明する。(これは第三版による。第二版では「場合の如く」とあった。その微妙な訂正に街三版の記述の方針が窺われるようだ。しかし和歌と言わずに短歌としてほしい。)それなら現代短歌に用いられる「あざやけし」も取り上げてよいではないか。

筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者

小 感


 「新アララギ」12月号の選歌をしているところですが、ニューヨークでのテロ事件発生に触発されて、事件を素材にした作品が沢山あります。 こうした事件に対して、直ちに反応するのもひとつの態度であり、すぐには反応しないのも又ひとつの態度であると思います。
 すぐに反応すると得てして、テレビや新聞の報道の引き写しになって、ただの報告に過ぎないものが多くなる傾向があります。 しっかりと見定めて「歌」にしてほしいものです。 

石井登喜夫

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