あざやけし・やすらふ(2)
「あざやか」は勿論辞書にある。これは万葉集には見えないが、平安朝の散文には多く出て来る。広辞苑に引く宇津保物語の「少将、麻のよそひあざやかにて対面し給へり」とあるのを見ると、今の我々の使うのと同じ意味と語感を持っていると察せられる。しかし、国歌大観には「あざやかに」という句が一つもないのは、昔から歌語にはならなかったものと見える。「あざやけし」ともなると、それこそ散文にも何も出て来ないのだろう。それで辞書に載らないのだ。だが、ノドカーノドケシ、サヤカーサヤケシ、ハルカーハルケシ、アキラカーアキラケシ、タヒラカータヒラケシという対応があるのだから、アザヤカーアザヤケシも成立してしかるべきだと思うのにそれは文献には記載がなかったのか、もともと発生しない言葉だったのか。
「あざやか」に近いものに「あざらか」があって、こちらはアザラカーアザラケシと対応する。これは魚肉などのなまなましく新鮮なさまを言う語であったようだ。今、手許に岩波古典大系の懐風藻等を載せた本が見当たらないのだが、メモによると、懐風藻68番の詩に「落霞鮮」という句があり、これを「落霞鮮(あざら)けくして」と読んでいるようだ。それが適切かどうかは私には判断がつかない。
「あざやけし」を早く使った例としては、「赤光」の明治四十一年「塩原行」のなかに「谷川の音をききつつ分け入れば一あしごとに山あざやけし」が記憶に残る。茂吉はこのほか「あざやけし」を何度か使用している。私は茂吉が初めて「あざやか」から工夫して、「あざやけし」を使ったのかと思った。しかし左千夫の明治三十四年の「青山の原に男児等あまたうちむれて紙鳶など飛ばし遊べるを見て作れる歌」という長歌中に「あざやけき朝日をあみ」という詞句があるのを見つけて、そう簡単に誰が言い始めたなどと言えないと考えるようになった。いずれ根岸派の歌人が使い出したのだろうとは想像されるが。
筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者 |