短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

あざやけし・やすらふ(3)

 「やすらふ」という動詞についてだが、辞書にはまず「ぐずぐずする、ためらう」という意味が出て来る。これは百人一首、赤染衛門の「やすらはで寝なましものを」の歌でなじみが深い。
それから「足をとめてたたずむ」という意味を記す。源氏の「前栽のいろいろ乱れたるを過ぎがてにやすらひ給へるさま」という例を広辞苑その他では引く。そして「休む」とは本来無関係なのに、後世「休む」のヤスに引かれて誤用し、「休む、休息する」の意となったと説いている。(広辞苑第三版では誤用の文字を削った。)
 すると芭蕉の「雲雀より上にやすらふ峠かな」は、誤用の休息の意味であろう。
  さみだれのふる音きこゆうすぐらき室ぬちにゐて心やすらふ        「あらたま」
  こひこひし三河の海の幡豆(はづ)の魚(いを)むさぼり食らひ心やすらふ 『自流泉」
 茂吉、文明の例を一首ずつ出した。「休らふ」から「安らふ」は、心理的に紙一重である。
「心安らふ」は「心安けし」あるいは「心休まる」というのと殆ど同じ意味合いになる。そして上に「心」がつかなくても「すこやかにありて働き病める日に信清くして君がやすらふ」(文明「少安集」)というように、「やすらふ」だけで「心安らふ」の意味にもなるのである。この用法は現代短歌に氾濫していると思うのに、辞書にその意味の記載がない。これは怪しからんことではないか。辞書がどうであっても我々がどしどし使えば、結局はあとから辞書の方で追いかけることになるのであろうけれども。
付記。「大きけき悲しき山」の項の中で岩波書店の戦前出版の辞苑に「大けし」という語が取り上げられていたはずだと書いたが、成瀬晶子、福原滉子両氏に調べていただいたところ、確かに「大けし」が項目として挙げられているが、用例はなく、古事記の歌謡も引かれてない由であった。記してお二人に感謝する次第である。

筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者

寸言


    私の孫の少年が言うには「長い休みはいやだなぁ。 学校に行きたくなくなってしまう」とか。
  「土曜休みもやめればいいんだよ」 それを聞きながら思った。 毎月同じようなことを書くが、「継続のリズムが狂う」のだろう。 「初心者の作歌は水泳のようなものだ」と教えられたのを覚えている。 ばたばたと水を掻いていれば沈まないが、止まったら溺れてしまうということだ。
  水に浮かぶコツは自然に身につくものだが、水に入っていないと浮かばない。 歌もそれと同じかなと思う。 作っているうちに自分なりのリズムが出来あがってくる。 
「リズム」と言えば、自分の作った歌を目で見るだけでなく、口で唱えて見ると、どこかひっかかるところをみつけることが出来る。 英詩の勉強などでは必ずやる方法だが、短歌にも応用できるものと思う。
もともと「歌った」ものだから当然のことだろう。

石井登喜夫

バックナンバー