むかう・むかふ(2)
大正の初めに国語調査委員会の編纂したものに「疑問仮名遣」という本がある。これは歴史的仮名遣の問題点を具体的に論じた貴重な書物であるが、その前編の学説の部に、この「むこう」もある。それによると、大槻文彦の言海は「むかふ」とし、物集高見の日本大辞林、落合直文のことばの泉は「むかう」を取っている。相撲も前者は「すまふ」後者は「すまう」である。今大言海を見ると、名詞の「むかふ」は「むかひノ誤用、閏(ウルヒ)ヲうるふ、病(ヤマヒ)ヲやまふト云フガ如シ」とあって、誤用とはうなずけないが、「むかふ」説であることは変わらない。
谷崎潤一郎の「文章読本」が例によって命令を拒否して出頭しないのだが、この仮名遣につき森鴎外が「むかう」は「むかひ」の音便で「むかう」となったと説いたことを記していたと記憶する。これは落合直文の説に従ったのであろう。鴎外が仮名遣にきびしい人であったことは「仮名遣意見」等を読めばわかる。そして小説等には確かに「むかう」と書いている。内田百閧烽サこは鴎外流なのである。
この文章は「歌言葉雑記」であるはずが、一つの仮名遣に終始しそうだ。歌を引用しよう。
島山を下ればさみし隠れ江のむかうに暮るるふかき松山
憲吉 「林泉集」
石楠の花にしまらく照れる日は向うの谷に入りにけるかな
赤彦 「柿蔭集」
むかうより瀬のしらなみの激ちくる天竜川におりたちにけり
茂吉「ともしび」
アララギの歌人は鴎外流の用語や表記を好んだから、「むかう」も鴎外に従ったのかも知れない。とにかく我々も名詞の場合は「むかう」だと教えられて来た。広辞苑は各版とも歴史的仮名遣はムカウを示し「ムカヒの音便。またムカフの転とも」と説明する。岩波古語辞典も「むかう」の項目を立て「ムカヒの音便形」とする。潮国語辞典は「むかう、むかふ」両方を記して二説あることを示していた。
ところが、昭和四十七年初版の新明解国語辞典(代表、金田一京助)は、主幹が山田忠雄であり、この人の執筆と目される「あとがき」の「和語のかなづかい」の所を見ると「現行の国語辞典、それぞれスマヒ、ムカヒの音便ゆえ、スマウ、ムカウとすべき珍説を載せるが、その学的根拠を知らない。終止連体形による名詞法と見れば済むものを、回り道する必要はあるまい。」ときっぱり断じている。音便によるという説明では学的根拠にならないらしい。とにかく「むかふ」が正しく、「むかう」は「珍説」なのである。鴎外、百閧竅A茂吉などの仮名遣は珍説に基づくものとなる。蕪村曰く「あらむつかしの仮名遣ひやな。字儀(ママ)に害あらずんば、アヽまゝよ」
(昭和59・6)
筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者 |