生きざま
「生きざま」という言葉は、近頃よく使われる日常語であって歌言葉とも言えないが、今月はこれを取り上げてみたい。
「生きざま」は、新聞雑誌にしばしば出て来るし、テレビでも「男と女の生きざま」などと今も私は聞いた。別に違和感を感じない人も多いようで、歌のうえでも「父の生きざま顧みるなり」などと使用して何とも思わない人もいるわけだ。この「明日香」の作者のなかにも、一度や二度はこの「生きざま」を使ったという人は、必ずいるに違いない。
ところが、こういう現象に対して反発する人も少なくない。今年の「アララギ」7月号に次のような歌が載った。
「生きざま」といふ汚き言葉アララギに見出でて忽ち不愉快になる 松尾 洋子
その同じ7月号の「五月号作品」評という文章のなかに「洋服に白足袋といふのは、いかにも生前の岡田氏の生きざまが思ひ出される」とある箇所を、上の作者が読んだら、また不愉快になったことだろう。
「朝日短歌」は朝日新聞東京本社の朝日短歌会の人々が出詠する季刊誌であるが、その昭和五十八年冬号に、
人が使えばわれもわれもと「生きざま」と口にし文につづる哀れなる世相 上野丕慮務
「死にざま」という言葉はあれど「生きざま」は辞書にもなきを知る人のなし
と発表されたのを見つけた。「近時感懐」と題する作のなかのもので、他にも「ナウイとかイマいとかいう人の顔をし見れば日本人にあらず」というのがあって愉快である。他の作によって七十二歳という年齢も分る。先の「アララギ」の作者は五十代の婦人と思われる。若い人が「生きざま」を気にすることは、まず考えられないのだ。もう一例紹介しよう。歌ではなく詩である。
嫌なことば 中桐 雅夫
何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、
言い出した奴の息の根をとめてやりたい、
知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に
悪い意味にしか使われないのだ、ざまあ見ろ!
このあとに「『やっぱし』とか『ぴったし』とかにも虫酸が走る」などとほかの言葉もやっつけているが、それは省略する。「生きざま」の非難は、この詩にきわまる。何しろ「言い出した奴の息の根をとめてやりたい」のであるから。これは岩波新書の樺島忠夫著「日本語はどう変わるか」に引用された詩である。
筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者 |