短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

生きざま(2)

 先の上野氏作の歌に「『生きざま』は辞書にもなきを知る人のなし」とあるが、たしかにどの辞書にも載せていない。岩波、広辞苑三版は随分新語も加えたが、この「生きざま」は捨てた。
日本語の規範的辞書としての矜持が採用を許さなかったものか。その広辞苑には「ざま[様・態]様子・ありさまをあざけっていう語。ていたらく。」として、狂言の「扨も扨も気の毒なざまかな」等の用例を引き、別に「ざまを見ろ」の項目も立てている。この「ざま」が接尾語的に使われると、
  死にざま・悪しざま・続けざま・立ち上りざま・すれ違いざま・書きざま・言いざま
のようになる。「ざま」は、様・様子であるから、もともと悪い言葉だと言えない。しかし「死にざま」「悪しざま」などには、そういうニュアンスも」当然つきまとう。「生きざま」は、特に「死にざま」と対比されるし、近年急に流行語になったから、批判する人も出て来るのである。
 アララギ会員の湯村永子さんは嘗て「アララギ」に

我の嫌ふ流行語『生きざま』を昭和初期中島健蔵は日記に書き居し

という歌を発表した(昭53・9)。その根拠をもっと知りたいと思って、湯村さんにたずねたところ、中島健蔵著「回想の文学」(全五巻、平凡社刊)の第一巻「疾風怒濤の巻」(昭和初年〜八年)のなかに「10、意識の開放」として「さまざまな生きざま」という小見出しがあり、昭和初期の日記を回想して次のような文章を書いていると教えられた。

  プラグマティズムを資本主義時代の期末現象として片づけることもできるだろうが、これらの問題は、意識の存否ではなく要するに「生きざま」の実態であった。「死にざま」ということばはあるが、「生きざま」というのは、かなり大きな国語辞典にもなかったので、はじめ成語ではないのかと考え、慣用されていないと思っていたが、たちまちこのことばが使われているのをテレビで二度ほど聞いた。また、いやな感じのことばだという非難をどこかで読んだ。
 「生き方」「生態」でも同じことだが、ここでいうような意味で、いやな感じでありうるほどなまなましいこのことばを、わたくしはあえて選んだのである。自分の生きざまについて、さまざまな感想がこのごろのわたくしのノートや随想にふんだんに出てくる。(一七五頁)

 この「回想の文学」第一巻は、昭和五十二年の刊行だと言う。ここだけではよく分らないが、要するにこの文章を執筆するに当って「生きざま」という語を用いたことの釈明だと見ればよい。
テレビ云々の箇所もあるから、昭和初期に仲島健蔵が「生きざま」を使用したということにはならず、湯村さんの歌は早とちりではないかと思う。しかし昭和五十年前後には、「生きざま」が問題にされていた証拠の一つにはなる。たしかに「生き方」ではなまぬるい。「生きざま」のほうが、なまなましさを表わすのにふさわしいとは言えよう。土屋文明歌集「青南集」の「母の日に」のなかに

我が見たる四つの世の母世につれて少しづつましな生きざまするや

があった。使い方によっては、「生きざま」が生きる場合もあることを知るべきである。
                            (昭和59・10)

筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者

寸言


腰をすえてじっくり詠もう

今月の「新アララギ・キャンパス欄」出詠者は二十五名。
発足時に較べると三倍くらいに達していようか。
しかし、私たち選に当っている者の心情から言えば、この数字に必ずしも満足しているわけではない。
この欄の出詠者の内実、定着度が他の欄に比して、はるかに低いからである。
作歌を止めてしまった理由を退会した若者に面と向って聞いたことはないが、「歌」に対する執着心のようなものが、今の時代は淡白でありすぎるだろうか。
生活の中に「歌」が定着する前にあっさり止めてしまうのは、如何にも惜しい。 じっくりと腰を据えて取り組んでもらいたいものだ。 このことは、「新アララギ」四月号にも記したので、一読してもらいたい。

雁部貞夫 (新アララギ編修委員 選者)

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