短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

「む」と「ん」

 茂吉の歌集「赤光」から、今数首を引く。

  ひさかたの天のつゆじもしとしとと独り歩まむ道ほそりたり
  この心葬り果てんと秀(ほ)の光る錐を畳に刺しにけるかも
  この雨はさみだれならむ昨日よりわがさ庭べに降りてゐるかも
  みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる

 「歩まむ」「ならむ」と書いたり「果てん」「見ん」と書いたりして、推量及び意志を表わす助動詞の表現が一定しない。推量と意志とを「む」と「ん」で書き分けているとも思えない。この不統一は実は「赤光」全体に及んでいる。気ままに或る時は「む」を書き或る時は「ん」を書いたようである。ところが次の歌集「あらたま」からは、「ん」がなくなり殆ど「む」に統一された。
 赤彦は「切火」までは「ん」であったが、次の「氷魚」以下は「む」に統一したように見える。
晩年の「信濃路はいつ春にならん」「魂はいづれの空に行くならん」「我が家の犬はいづこに行きぬらむ」の歌が不統一なのは、病気のためか、口述のためか。憲吉は「しがらみ」までは揺れているが、「軽雷集」では「む」と書こうと努めたらしく見える。
 すると大正中期頃から、アララギの主な歌人は「ん」を避けて「む」を書くのを好むようになったと言えるだろう。「ん」は視覚上何か軽く見えるのである。茂吉達は、先進の子規や左千夫の表記も直し始めた。子規の「来ん春にふたたび逢はん」は「来む春にふたたび逢はむ」とし、左千夫の「われ四十九の年行かんとす」は「年行かむとす」と変えて歌集を編んだりしている。
 しかし、人間は、時に統一を破りたくなるものであろうか。

  かの山をひとりさびしく越えゆかむ願をもちてわれ老いむとす
  心中といふ甘たるき語を発音するさへいまいましくなりてわれ老いんとす

 茂吉の「石泉」の昭和六年と七年作である。山口茂吉歌集「鉄線花」に、「芽ぶかんとして降春のあめ」として一首おいた次の歌に「雲のごとくに芽ぶかむとする」というのさえある。
 先ほど逝去された佐藤佐太郎氏の「しろたへ」の最後の歌は

  充ち足らへる人のたもたむ幸といへど心畏れなき人もたもたむ

 であったが、次の第四歌集「立房」の初めの方に

  ことごとくしづかになりし山河は彼の飛行機の上より見えん

 があり、以下すべて「む」をやめ「ん」を採用した。歩道に属する作者は、皆これにならった。
「見えむ」がいいか「見えん」がいいか。これは結局は主観の問題である。我々はまだ「む」を使っているが。
                            (昭和62・10)


          筆者:「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


歌を詠むということ

 道で会ったばかりの人を居合せた者で話題にすると、ある者は言葉遣いを、ある者は服装をと、それぞれ違ったものを捉えていたと気づく場合が多い。関心の向くところが、人それぞれに違うのである。
19世紀、火星に運河が発見された。さまざまな観測者による記録が今に残り、スキャパレリのスケッチなど特に有名である。しかし、より確かに見える大望遠鏡の建造とともに、それら運河の存在は否定されてしまった。このことは、科学的観察といえども見る者の心が反映することの証として興味深い。
 何を捉えることができるかは、何が己の心にあるかにかかっているのだ。歌は己の鏡であり、歌は己の分身との謂いもなるほどといえる。歌うことは、己を凝視すること。味のある人間にこそ、味のある歌が詠めるというものだ。
己という人間を磨かずして、よい歌を詠むことは難い。が、歌を作るという行為によって、人間が磨かれてゆくこともこれまた真であろう。

                           星野 清


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