三十路など
初めに牧水と赤彦の歌を引く。「死か芸術か」と「柿蔭集」より。
うす青き夏の木の果(このみ)を噛むごとくとしの三十路(みそぢ)に入るがうれしき
行き行きて五十路(いそぢ)の坂も越えにけり遂に寂しき道と思はむ
今月は、下記のような年齢にかかわる言葉を取り上げてみよう。
三十路(みそぢ) 四十路(よそぢ) 五十路(いそぢ) 六十路(むそぢ) 七十路(ななそぢ) 八十路(やそぢ) 九十路(ここのそぢ)
このうち九十路などの用例は、なかなか見つからないだろうが、ほかは歌のなかで割合によく目につく言葉である。
さて広辞苑でミソジを引くと「三十・三十路(ヂは接尾語。古くはミソチ)とあり、岩波古語辞典では「みそち」に三十としたあとに「チは数詞の下に添える語」とある。意味はどちらも「(1)さんじゅう(2)三十歳」とする。ほかの辞典を見ても、普通の辞典は三十のほかに三十路の文字をも示すが、古語辞典は殆ど皆三十のみである。(その関係は、ヨソジ以下も同様。)
そこで今度は、岩波古語辞典で二十(はたち)を引くと「チはイホチ(五百箇)のチと同じ。ヒトツ・フタツのツと同根。個の意」として「(1)二十個(2)二十歳」と説明する。以下歴史的仮名遣で統一するが、ミソチ(ヂ)とハタチと、チに違いがあるわけではあるまい。
要するに数詞の下に来る接尾語である。ハタチは今は純粋な数字としては使わないが、二十歳という意味では生きている。だが、二十路という表記は見たこともない。
二十がハタチならば、三十・四十はミソ・ヨソと読むほかに、そのままでミソヂ・ヨソヂと読み得るのである。それなのに三十路四十路と路をつけるようになったのは、いつ頃からであろうか。路は俗な宛字にすぎない。二十は別として、三十以上はミソと読んでもミソヂと読みにくいということもあって路をつけ加えるようになったとも考えられる。
「茂吉索引」を見るに「五十(いそぢ)を越えし」「六十(むそぢ)なる」「六十(むそぢ)になりて」「七十(ななそぢ)こえて」というような表記にしているのは、見識を示すものだ。ただ一つ「つきかげ」の昭和二十六年作「七十路(ななそぢ)のよはひになりてこの朝けからすのこゑを聴かくしよしも」に例外が見えるのは、最晩年となってブレーキがきかなくなったのであろう。土屋文明には「ここのそぢ共に越え二つの姉なるを安らぎとして有り経しものを」(「青南後集」)がある。「ここのそぢ」という表記に用意が見える。
釈迢空も「……とをはたち三十ぢを過ぎ……四十(ヨソ)五十(イソ)ぢながめくらして」「古代感愛集」)と「三十ぢ」「五十ぢ」のように書いているのは注意すべきだ。角川の「俳句」六月号の初めの方に写真付きの文章があって「四十路五十路は花の如し」と題している。これは四十代五十代ということだろうが、そういう意味は今の辞書にも見えない。
(昭和63・7)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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