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仮名遣いのこと
月々のアララギの選歌をやっていて、別に統計を取ったこともないが、歴史的仮名遣を間違えて書く人の割合は、まず四割ほどであろうか。十首提出の中に一箇所でも間違った場合も入れてのことであるが、月が替わればまた間違いを書く人が移動するのだから、まず正確に書ける人は多くないと言えそうだ。選者は仮名遣いを訂正するのが重要な仕事の一つである。「男は黙って××ビール」というコマーシャルがあったが、選者は黙って仮名遣いをせっせと直しているので、これは歴史的仮名遣を建て前とする結社はどこでも同じであろう。
斉藤茂吉全集(再刊)の第二十六巻にアララギの選評が集められている。その昭和十年前後には仮名遣の注意が多い。「乾はカワクにしてカハクにあらず、一度直して呉れたならば注意したまへ。」「仮名づかひ全く出たらめなり注意したまえ」「『越えて』であって『越へて』ではない。字書引かれよ。」「『老い』にして『老ひ』にあらず。余り選者の注意を聴かざれば以後罰するぞ。」という具合だ。これは各作者の作品のあとに記された注意書きである。このっ時代より半世紀が過ぎ、新仮名遣の支配した現在では、いよいよ以て混乱の度を加えている。それにしても、「老い」を「老ひ」と書く錯覚仮名遣がどうしてなくならないのだろう。時代逆行の仮名遣とも言えそうだ。一度覚え込んだら梃子でも動かないのである。大歌人の口真似はしたくないが、全く「罰するぞ」と言いたくもなる。
しかし歴史的仮名遣はやはり意識的に覚悟して取り組まなければなかなか正しく覚えられるものではない。だいぶ前の土屋先生の話であるが、戦時中に文部省から文学報国会に仮名遣を発音式にしてはどうかという諮問があった由である。それについての懇談会の時、国語学者で東大教授の橋本進吉博士が「仮名遣がそんなにむずかしいものなのか」と言うから「それなら先生の教えた卒業生を集めて私に試験させてくれますか。先生の教えた文学士が仮名遣ができないではないですか。」と反論された由である。つまりアララギ会員の東大出の文学士が仮名遣が正確に書けないという証拠を握っての反論であった。
今年の七月末に行われたアララギの夏期歌会の詠草は原文のまま印刷するので、仮名遣の誤りがすぐ分かってしまう。皆年配者のくせに幼稚な誤りを繰り返すものだから、或る歌のところで土屋先生は「仮名遣を軽蔑するような歌を私は相手にしない。仮名遣いをやかましく言うアララギは糞食らえと言う人はどこへでも行けばいい。アララギに来なくてもいいワ。」と強い語気で言われた。こういうことは、アララギにこそ書くべきであるが、今ついでにこの「歌言葉雑記」に記しておく。
(昭和63・7)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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寸言 |
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掲示板投稿作選歌後記
数年前に「少年の非行の根本原因は総理よあなた方の出鱈目にある」という歌を発表しました。それがしばらくたって朝日新聞夕刊の「素粒子」の欄に引用されました。その二、三日後に時の総理は辞職しました。私のこの歌によって一内閣をつぶしたなどと申しませんが、その総理の番記者だった人が私の所謂教え子の一人で、総理は、少年の非行と結びつけられたのが痛かったと言ったそうです。非行と結びつけたのは私だけでないでしょうが、私の歌もその一つだったことは確かです。短歌は私の排悶であったり、世間への訴えであったり、一人の人への思いの丈であったりしますが、多くはそれらを達成できません。私一人のつぶやきで終ってしまっています。しかし、時としてこのように他の人の共感を得、それによって些細ながら一つの力を持つことがあると思うと、さらに頑張ろうと思います。
吉村 睦人(新アララギ選者)
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