短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

仮名遣のこと(2)

 仮名遣と言っても歴史的仮名遣を守るべき場所で、なかなか違反が多いことを前回は述べた。今、ここで仮名遣とは何ぞやなどと開き直って言うつもりはないが、大体、奈良時代や平安時代の初期には仮名遣の問題はまず起らなかったはずだ。発音と表記がほぼ一致していたのだから。ところが言葉の音は移ろい易いのに表記はそれに伴わない。そこに仮名遣の問題が発生したと言っていいだろう。

 今いうところの歴史的仮名遣というのも、それが一般に用いられた期間はそんなに長くはないのである。江戸の時代の芭蕉や蕪村や西鶴などの作品を見ても、仮名遣は実にいい加減」である。蕪村句集に「あらむづかしの仮名遣ひやな。字儀に害あらずんばアヽまゝよ」とあることは、前に書いたことがある。芭蕉が死んだ翌年の元禄八年に契沖は「和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)」という書物を世に出した。これは発音と表記にギャップのない古代の文献を調査して、後世では同じ発音をするイとヰ、オとヲ、エとヱなどが古代では言葉によって常に使い分けられていることをつきとめ、実証的に歴史的仮名遣の大系を樹立した。これが「正しい仮名遣」ということになったのだ。しかしこれは一部の国学者に認められただけで、近世の仮名遣は混乱したままというのが実情だったと言えよう。明治になって新政府は、歴史的仮名遣を採用することとした。今は故人の前田透氏が「新カナは文部省の押しつけと言うが、歴史的かなづかいも明治三十年、時の政府が契沖かなづかいに基づく復古かなづかいを押しつけた点は同じである。」と言ったのは(有斐閣選書「短歌のすすめ」昭50)明治三十年は誤りにしてもまずその通りと言えるだろう。とにかく歴史的仮名遣が一般化したのは明治になってからであった。そんな歴史の浅いものを歌人や俳人が後生大事に守る必要もないではないかという意見は、よく耳にすることである。前田透氏は、仮名遣は新旧どっちでも好きなほうを採用すればいいと言いつつも「ただ歴史的かなづかい表記でなければ満足できない語感は、十年もたてば消滅することは明らかである。」と断定したのは誤りであった。悲しいが、消滅したのはご本人のほうであった。

 現在の歌人の新旧仮名遣の割合はどうなっているのだろうか。あちこちの募集に応ずるような一般の作者には現代仮名遣が多いと思うが、専門的歌人の中での比率はいかがか。岡井隆、馬場あき子両氏は最近になって歴史的仮名遣へUターンした。

 結社の歌誌を見わたすと(1)歌も文章も旧仮名(2)歌は旧で文章は新(3)歌文ともに新(4)歌文ともに新旧自由、と大きく四種類に分けられる。アララギ型の(1)は少なく、この明日香のような(2)のタイプが多いのではあるまいか。


                      (昭和63・9〜63・11)

        筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


どれだけ執着できるか

 どのような場合でも、自分の歌を人の目にさらして否定的な意見を聞くと、あまり嬉しくはないのが一般である。
 「ああだめなのか」とあっさり兜を脱いで投げ出すような歌ならば、もともと歌になるほどのものがなかったのであろう。捨てて惜しくはない。
 「自分はこういう思いを歌っているのに、何故分ってくれないのか」と非難めくならば、意見を聞く相手を間違っているか、聞くこと自体が間違っているのだと思う。聞く耳を持たぬならば、とても進歩はしないだろう。
 人からどのように言われようとも、自分はこれを歌いたい、一首にまとめ上げたいとの執念があれば、またこの人には伝えたい分ってほしいとの強い願望があれば、その歌材にとことん執着することができる。そうならば、どのようにすればよいかを考え、推敲を重ねることができるというものである。
 よい歌が詠めるようになるには、どれだけ執着のある歌材を見出すことができるか、いかに恃みとする先進を得て学びとるか、にかかっていると言えよう。なお、この場合の先進、師は、片思いであっても差支えはない。例えば、誌上での採否の類でも、先進の評として充分に考えることができる。
                    星野 清(新アララギ編集委員)


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