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ムラサキグサなど
のっけから拙作を持ち出すのは甚だ気が引けるが、「紫草とふ日本語はなしとけふの歌会に語気強くして言ひたまひたり」という私の歌を、今月は話の枕といたしたい。土屋文明先生の月々出席される東京歌会に提出される詠草のなかで、先生が詠まれると快く思われない用語が幾つかある。その一つがムラサキグサである。ムラサキグサではない、紫草と書いてムラサキと読むのだときつい調子でいつも言われる。もっとも紫草という植物は今は稀有な存在であり、近頃は歌にして歌会場に持ち込む作者も少なくなったから、詠草中ムラサキグサにお目にかかって、こちらが気を揉むということもあまりなくなった。
万葉集巻一にある「紫のにほへる妹を憎くあらば」の歌の初句の原文は「紫草能」であり、当時は紫の色と紫色の原料の紫草とが一つのものと考えられていたことが分る。正倉院の古文書等を見ても染料のムラサキになる植物は、紫草と記されている。それも無論ムラサキと読むべきものだ。しかし紫草とあれば、後世ではムラサキグサと発音する人の出て来るのも、自然の勢と言うべきかも知れない。今井邦子歌集の「紫草」は、その巻末記に「紫草(むらさきぐさ)の名は自分が古代紫の色を好むからで」と、その読み方もはっきり示している。辞典類も、今のぞくと広辞苑ではムラサキの説明のなかに「むらさきそう」という呼び名も紹介しているし、新潮国語辞典を見ても「紫草(ムラサキグサ)の根で染めた色」などと説明している始末だ。こういう現象は、土屋先生は苦々しく思われるのに違いないのである。
芭蕉の「山路来て何やらゆかし菫草(すみれぐさ)」のスミレグサも、本来はおかしい言葉であろう。スミレにグサをつける必要はない。しかしここは「菫かな」とか「つぼ菫」とかやることもできないので「菫草」としたものと思われる。芭蕉には「当帰よりあはれは塚の菫草」という句もある。なお鬼貫とかほかの江戸時代の俳人もスミレグサ使用の例はある。未木和歌抄という鎌倉時代の末頃成立した類題別の和歌集を見ると、菫の歌が四十五首ほど集められているが、そのなかに「いざや君袖ふりはへてすみれ草紫野ゆきしめ野ゆきみむ」という家隆の歌があるのに気づいた。言葉というものは、単純に割り切るわけには行かない。アヤメ、アヤメグサのようにどちらを使ってもいいものも勿論ある。
そう言えば、ヲシ、ヲシドリ・ニホ、ニホドリは、両方言うがカモに対するカモドリはどうか。茂吉が「鴨どりは沼(ぬ)の上(へ)に浮けど或るときに飛びてさわげり争ふらしも」(寒雲)などと詠んだのは、万葉に「鴨鳥の遊ぶこの池に」(七一一)という一例があるため安心して作ったのだろうと思う。(昭和61・10)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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寸言 |
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掲示板投稿作選歌後記
五七五七七という音数律
日本文化の道筋の大きな一つが、中国から朝鮮半島を経たものですが、漢詩はむしろヨーロッパのそれに近い四行詩、脚韻等で律を持ちます。韓国に至ってはじめて「時調(シチョウ)」という音数律詩が見出せます。それにしても、千四百年にわたって愛された、この単純で美しい音律は、日本語の生んだ独特のリズムです。日本人の感情と結びついて不思議な力を持っているのでしょう。
2004年1月25日 選者 倉林 美千子
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