濃ゆし・酸ゆし
石井庄司氏の「ことば論議」という本をみると、「濃ゆし」という言葉についての意見がその47と69とに二度でて来る。69には虚子の「色濃ゆき菫も潮岬かな」という句について山口誓子が「辞典には『濃し』があって『濃ゆし』はない。『濃ゆし』は方言か」。と述べていることを伝えて「わたしも、いろいろの辞書をあたってみたが、『濃ゆし』の語は見えない。虚子先生といえども、辞書にないような語を使うのは、困る。」と批判している。辞書には全く見えない。小学館の日本国語大辞典なども収録していない。(ただし、「濃ゆい」という形は、出雲方言として出している。)この「濃ゆし」は、あるいは虚子が使ったことで、俳人や歌の作者にも使われるようになったものか。虚子句集には「投げ棄(す)てしマッチの火らし霧濃ゆし」「霧如何に濃ゆくとも嵐強くとも」などとも見える。中村草田男の最初の句集の「長子」に「松風や日々濃ゆくなる松の影」がある。
この「濃ゆし」に似た用語に「酸ゆし」がある。これもさほど由緒のある言葉とは考えられず、殆どの辞書に載っていないが、日本国語大辞典には載せた。それには白秋の「邪宗門」より「一人の酸ゆき音は飛びて羚羊となり」という詩句を引き、また吉井勇の「酒ほがひ」の「つれなくも稲佐少女はことさらに酸(すゆ)き木の実をわれに与ふる」を引く。
酸(す)という名詞から、「酸し」という形容詞ができ、「饐(す)ゆ」という動詞ができる。その両方を合わせたような形で、スユシという語が生まれるのも自然のなりゆきかもしれない。また二音の形容詞は、何か心理的に安定を欠くようなところがあるので三音になろうとする傾向もあろうか。「命は惜しし」などという言い方もその傾向の一つと考えられるかとも思う。
白秋の「邪宗門」には「麻痺薬の酸ゆき香に日ねもす饐(む)せて」とか「空気は酸(すゆ)し」とかの例もある。この詩集は、そのほか「饐え濁る」とか「饐え温(ぬ)るむ」とか、スッパイ匂いがどこにでも立ちこめるような感じの詩集である。
この「酸ゆし」は、いずれ白秋など新詩社系の人達が、使いひろめたのであろう。茂吉の「赤光」に「酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり」があるが、これは改選のほうで初版は「酸(さん)の湯に」であった。茂吉にはなお後年の例もあるが略す。いずれにしても言葉は伝染するのである。柴生田稔氏に「持ち出でて今宵すすむる葡萄酒の酸ゆきを飲みてわが寝ねむとす」(「麦の庭」)などがある。もう市民権を得た語と見なし得ようか。終りに成瀬晶子氏の教示により「明日香」の作者の例を挙げる。横内菊枝歌集「春の譜」に「入りつ日の余光を受ける富士の山藍色も濃(こ)ゆく雲とまぎれつ」、岩波香代子歌集「冬の虹」に「豊後梅黄ばみて落つる頃ならむ酢ゆき憶(おもひ)をまどろみてゐつ」
(昭62・8)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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