短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

すがし

 最近ある短歌教室で扱った歌のなかに「すがしと思ふ」という表現があって、「すがし」という言葉はもともとあるのだろうかという質問を受けた。私は、古事記の歌謡に「あたらすがしめ」というのがあるから、認められるのではないかと答えた。

 古事記下巻に仁徳天皇が八田若郎女に賜わった歌として

 八田の一本菅は、子持たず立ちか荒れなむ、あたら菅原(すがはら)言をこそ菅原(すげはら)と言はめ、あたらすがしめ

という古代歌謡の逸品がある。「・・・あたら菅原」と言って、そこから「言をこそ 菅原と言はめ あたらすがしめ」と転換して本題に入る呼吸がなんとも言えない。(余談ながら、アララギ八月号の土屋文明作)「ことをこそ木草と言はめはかなき命も見つつ年を経にけり」は、この歌謡と遠くつながっている。)

 さて「すがしめ」を辞書で引くと、例えば大言海に「すがすがしき女、清らかなる女」とあり、ほかの辞書もまず「すがすがしい女」と説明する点は変らない。つまりスガシとスガスガシを同義と見ているわけである。それなのに「すがし」という形を単独に項目に立てた辞書は、どうも見当たらない。「すがしめ」はあっても「すがし」はないのだ。「すがすがし」は古事記上巻に速須佐之男命が出雲の国に赴いて「わが御心すがすがし」と言ったという例のほか、用例は多くあって現代に続いているが、「「すがしめ」のほかに「すがし」の例が古典に見えないため、こちらは辞書類にも無視されたということになろうか。

 しかしたった一例と言っても「すがしめ」があるのだから、スガスガシと同義で、恐らくそれを略した形と見られるスガシも、古代に存在したと見るべきではあるまいか。そして近代の歌言葉としてこの言葉は、もう珍しくもないのに多くの辞書が採用しないのは全く怠慢と言うべきである。

 この「すがし」を使った近代の歌人としてすぐ頭に浮かぶのは、

 垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
 播磨野は朝すがしき浅霧の松のうへなる白鷺の城

など詠んだ長塚節で、これは大正三年の「鍼の如く」に出てくる。しかし節はもっと前から使っているので、明治三十九年作に「菜の花に明け行く空の比枝山は見るにすがしも其山かづら」があり、明治四十五年作に、「掃かざりし杉の落葉を熊手もて掻かしめしかば心すがしき」がある。茂吉の使用例は索引によると「赤光」以下三十五例ほどあり、なかには「すがしむ」と動詞に使った例さえある。「すがし」を辞書に収録しないのは、全く怠慢なのである。(今、小学館発行の国語大辞典を見ると一応「すがし」「すがしい」の二つを項目に立てている。待てよ、「すがしい」という口語があるだろうか。)

                        (昭和62・9)


          筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


寸言


皆さんの歌についていろいろなことを書き込みますがその人に対してだけではなく,皆さんに見てほしいと思って書いています.
最終稿でも各自で他の人のを選歌する習慣をつけて、選者の選と比べて批評眼を養ってください。

                    新アララギ選者 小谷 稔

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