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乙女(1)
私は昭和十五年にアララギ会員となって出詠しているうちに、アララギではタブーのように使用を戒められる表記や用語があるのに気づいた。「淋し」と書かずに「寂し」と書けとか「吾子」はいけない、「吾が子」とすべきだとか、「老い父」は「老いし父」というのがいいとかいう類である。
「寂し」と書くべきを提唱したのは赤彦である。「淋し」より感じがいいからというのが理由であった。これは茂吉、千樫なども賛成し、左千夫歌集を編む時に「いたも淋しも」という原作の表記は「いたも寂しも」というように変更してしまった。「吾子」は、子規、左千夫、赤彦も使ったし、「老い父」は赤彦も使ったが、茂吉の嫌いな言葉であったらしく茂吉歌集には用例は一つもないだろう。それがアララギに受け継がれて、今でも歌稿の「淋し」「老い父」は、選者や校正者が見のがしても、印刷所のほうで「寂し」「老いし父」に組み替えてくれるほどになっている。
「乙女」もアララギでは排撃される表記である。月々の歌稿には、新入り会員が知らずに使っても、誌上では必ず「をとめ」か「少女」に訂正されているはずだ。茂吉歌集のなかで「乙女」の文字はただ一箇所、「あらたま」の終りに近い「箱根漫吟」に
乙女(をとめ)峠に風さむくして富士が嶺の裾野に響き砲打つを見つ
と見えるだけだ。これは固有名詞のために止むを得なかったものと見える。そのほかは「をとめ」または「少女」が多く稀に「処女」や「童女」「未通女」の例もある。
「乙女」と書くのはなぜいけないか。契沖は「俗に乙女とかくは誤なり。乙の呉音はおつなり。和名に山城国乙訓(オトクニ)郡の仮名於止久爾(オトクニ)これにて知べし」(和名正濫鈔)と書いている。つまり乙の字音はオツであってヲツではない。だからヲトメに宛てるのは仮名違いになるのである。この「乙女」については本居宣長も楫取魚彦も明治になって言海の著者大槻文彦も戒めている。と言うことは、江戸時代以後「乙女」という表記が世にひろまっていたということだ。室町時代に成立して江戸時代から明治初期にまで一般に使用されたといういろは引きの国語辞書の節用集は、多くの種類があるようだが、今、元禄五年本節用集を見ると「乙女(ヲトメ)」とあり、学者の否定にも関わらず近世にこの文字がひろまったものも止むを得ぬなりゆきだったのかもしれない。
茂吉の「乙女(をとめ)峠」は、慣用上の漢字を認め、仮名遣のみ正しくしたのである。今の普通の国語辞典が「おとめ」に「乙女」を示すのはしかたないとして、古語辞典の「をとめ」にまで「乙女」を書くのはいかがなものか。なかには「乙女・少女」として「乙女」を先に出すのさえあるとは・・・。
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者 |
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