短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 抱く

 大正十三年、茂吉がヨーロッパの留学から帰る時に印度洋に入ってミニコイ島という島を詠んだ一首がある。

  この洋(うみ)にかなしきかなやあさみどりしづかなる水を抱(いだ)く島あり

 歌集「遍歴」の終りの「帰航漫吟」に収められている。「遍歴」の作品は、前集の「遠遊」とともに後年編集される際に作ったものが多いから、取扱いに注意を要するが、この歌や次に見える「いのち死にしのちのじづけさを願はむか印度のうみにたなびける雲」「汗にあえつつわれは思へりいとけなき矍曇(くどん)も辛き飯(いひ)食ひにけむ」等の歌は、帰国してまもなくアララギに発表されたと記憶する。みな息の細いしみじみとしたもので、私は昔から愛誦している。「この洋にかなしきかなや」の「かなしきかなや」は、藤村の「若菜集」にも目につくが、古くは親鸞の和讃にも多く見られるから、そういうところから流れ込んでいるであろう。

 しかし特に注意したいのは、「しづかなる水を抱く島」という擬人的な表現である。「抱く」という動詞が、この一首のキーワードであり、この語によってこの歌はすぐれた一首となった。使いようによっては俗になるこの「抱く」を、いわば毒を変じて薬とするのは、やはり名人芸である。君子は危うきに遊ぶものなのだ。

  梵字川(ぼんじがわ)の谿に沿ひつつ歩み居り山を抱ける谿の大きさ

昭和五年、出羽三山参拝の時の歌で「たかはら」所収。ここでも「山を抱ける谿の大きさ」と「抱く」を使っている。茂吉の「作歌四十年」では、前の「しづかなる水を抱く島あり」の歌はただ掲げたのみで何も言っていないが、この歌については「『山を抱ける谿の大きさ』の句は、実際このとほりであるが、実際写生のありがたさで、かういふ句を得たのであった。」と満足げに記している。ここはやはり大家の力量を示したものであろう。

 さて茂吉の「短歌初学門」の「短歌の言語其の六」というところを見ると、いろいろと擬人的表現について論じているが、なかに宋の詩人の蘇東坡の詩の一節「枝を抱(いだ)いて寒蜩(かんてふ)咽(むせ)び」を引いて、漢詩の表現法としては普通で決して特殊なものではないと述べ、「抱く」も「咽ぶ」も擬人として取り扱うほどのものではないとしている。しかし短歌としては「約めて究竟の論をいふならば」「『枝を抱き』とまで云ふべきではない」と論じている。短歌はもっと直接的に根源根源と行くものだと主張している。ここではかつて自ら「抱く」を使ったのを忘れているかの如き書きぶりである。しかし忘れたわけではあるまい。「抱く」という言葉の効果をよく計算してそれぞれ作ったはずであるから。文章は文章、歌は歌なのであろう。(平成1・10)


                          


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


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