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「沖へ」と「沖に」
旅にして物恋ほしきに山下の赤(あけ)のそほ船沖へ漕ぐ見ゆ
桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市(あゆち)潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
万葉集巻三に高市黒人の旅の歌が八首あるが、その中の2首を引く。たまにこういう歌に真向うと実にいいなと思う。現代短歌の知的操作にまみれた作品などよりはるかにいい。人磨のような粘りはないが、簡明で直接的で心にぐっとひびく。さて今はこの歌の「沖へ」「桜田へ」の部分を問題にしたい。前の歌の「沖へ漕ぐ見ゆ」の原文は「奥榜所見」であるから、実は助詞を示す文字がない。それで、「沖に漕ぐ見ゆ」とも訓まれる。どちらも助詞を補って訓むのである。岩波古典文学大系の万葉集では「沖へ」と訓んで、船の遠ざかって行く動きを含めた表現だと説明しているのを昔読んでなるほどと思った。「沖に」では静止的で動きが感じられない。歌としては「沖へ」のほうが味わい深い。
次の「桜田へ鶴鳴き渡る」も「桜田の方に向って鶴が鳴きながら飛んで行く」という意で、「へ」は移動する方向を示す助詞である。「に」の働きは複雑だが、場所を示すことが多く、とにかく動きは表現しない。
この「へ」と「に」は、時代がたつにつれ特に散文では混線する。「へ」が「に」」の領分に侵入して行くのだが、その辺のことは省略しよう。現代語でも「学校へ行く」「学校に行く」の言い方には、もう差はない。(それでも「へ」はいくらか移動性、方向性をとどめるところもあり、「東京より大阪に行く」と言うより「東京より大阪へ」と言うほうが多いようである。)
妙見へ雨乞にのぼり来し人らこの渓のみづ口づけ飲めり
茂吉の「つゆじも」の一首。近代以後の短歌は、もう古代和歌のようにはっきりと「へ」「に」の使い分けはしない。声調を考慮してどちらへか決めている場合も多いと思われる。この茂吉の歌も妙見で雨乞をするのであろうから、「妙見に」とすべきところであるが、「妙見に雨乞に」でが「に」が重なって工合悪いので、あえて「へ」を使ったものと見える。
ふるさとへ帰る長路にいり行かむ山がうれしも行く手に青く
君を泊めむ仮家を狭み小夜更けて同じ浜べの宿へ送りぬ
憲吉の「軽雷集以後」の二首。前のは移動を念頭に置く表現なので「ふるさとへ」でいい。ここも作者は「帰る長路に」を考えて「ふるさとに」としなかっただけであるかも知れないが、次の歌は「宿へ」でなく「宿に」と言うべきところであった。
最近気づいたが、土屋文明歌集「山下水」の巻頭の「朝よひに真清水に採み山に採み養ふ命は来む時のため」の詞書「六月十一日夏実へ寄書」は、自選歌集「山の間の霧」や文庫本では「夏実に」と訂正されている。「へ」より「に」のほうが正確な使い方であるから変更されたのであろう。
以上細かいことを記した。
(平成3・3)
筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者
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