短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 散らしし・咲かせし

 文部省が明治時代に官報で告示した「文法上許容スベキ事項」は前月でも触れたが、そのなかに「暮ラシシ時」と言うべきなのに「暮ラセシ時」と言っても妨げなしとある。サ行四段の動詞暮ラス・話ス・示ス・などが、助動詞キの連体形であるシと接続する時には、暮ラシシ・話シシ・示シシ・というようにその連用形につながるのが本来であるのに、已然形につけて暮ラセシ・話セシ・示セシ・とするのも認めるというのである。明治時代の新聞雑誌等では、何と言ってもまだ文語文が中心を占めていた。しかし従来の文法から言えば破格とされる言い方がふえて来たので、そのなかの一部を慣用的なものとして一応認めたのである。さて、万葉集の巻二(一二八)に大伴田主の、
 
  遊土(みやびと)に吾はありけり屋戸(やど)貸さず還しし吾ぞ風流士(みやびを)にはある

 という歌がある。この第四句「令還吾曾」を、江戸末期の鹿持雅澄の万葉集古義ではカへセシアレゾと訓んでいた。つまり明治の許容に従った形になるので、十代の終りの頃この古義を読んだ私は、あの厖大な知識に圧倒されながらも、雅澄先生もカへセシなどと訓じて平気なのではダメだなと思ったのを覚えている。それまでカへセルと訓んでいたのを、過去形にしたのはよいが、それならカへセシとすべきであった。例によって土屋文明歌集より引く。一首目は「六月風」、次の二首は「自流泉」より。

  古墓の木戸開く手に銭(ぜに)を受く亡(ほろ)びし民か亡ぼしし民か
  疎開人(そかいびと)かへりつくしし春にして泉の芹を我独占す
  此の山の木下を三年耕して残しし百合の今朝の花の香

 「亡ぼしし」「かへりつくしし」は、いずれも正格であって、明治の許容に従っていない。もう一首引く。

 すこやかに老いましし手に手甲(てつかふ)して取入れ給へば吾等食(くら)ひき

 「青南集」の一首。助動詞のマスの下にシが続く時もマシシが正しく、マセシは変格なのである。私どもは、許容の残セシとか、老いマセシとかはやめて、規範的な言い方に従えるものは、なるべくそれに従いたいと思う。(文明歌集は、文法の教科書にならない部分も少なくはないが、一面なるべく従えるところは正格にするという心構えも見えるのだ。)

 しかし事は簡単ではない。例えば「散らす」という動詞は、万葉集に「わが宿の一群(むら)萩を思ふ児に見せずほとほと散らしつるかも」(一五六五)などとあって四段活用であり、辞書にも勿論出ている。シをつける時は散ラシシと言えばよい。ところが、「咲かす」という一語の動詞はなく、辞書にも見えない。古代の日本語にはそういう動詞は必要なかったと見える。だから咲カセルという意の咲カスは使役の助動詞スをつけなければならない。するとその助動詞の連用形はセであるから咲カセシが正しいことになる。一方は散ラシシなのに一方は咲カセシ。ややこしいことになった。
                            (平成3・5)



         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


    バックナンバー