短歌雑記帳

「歌言葉雑記」抄

 「しし」と「せし」

 佐藤佐太郎氏の「斎藤茂吉言行」の昭和十八年五月六日の記事に次のような茂吉の談話が出ている。

 山口君、森快逸君の歌で<しし>となくちゃならんところが<せし>になっていたが、どういうんだか調べてくれたまえ。まさか校正で直したんじゃあるまいな、僕は原稿をとりよせて見ようかと思ったほどだった。僕はたいてい気がつけば直すんだがね。活字になってしまっては、いかんともしかたがない。君はまず<しし>と<せし>の区別を知っているかな、言ってみたまえ。

 山口君というのは、山口茂吉で、アララギの茂吉選歌欄の校正もやっていたので、質問されたのだ。「<しし>と<せし>の区別を知っているかな、言ってみたまえ。」と言うところは、やや詰問的で、君が手をいれたのではないかと疑っているかのようである。これはアララギの昭和十八年五月号だろうと判断して今回調べてみると、なるほど森快逸という人の作品が戦場欄に出ているが、シシというべきをセシとしたという歌はべつにない。五月号以前のも見たが、該当すると思われるものが見当たらない。それでせっかく今月の材料にしようと思ったのにアテがはずれてしまった。

 今年のアララギ五月号の選歌後記に私は次のように書いた。

 語法につき一言。「疎開しし村」「林立しし煙突」「愛しし人」というのはおかしい。「疎開せし村」と、「せし」を使うべきだ。

 これらは、「疎開す」「林立す」「愛す」というサ行四段の如く錯覚して「愛しし」とやってしまうのかも知れないが、梁塵秘抄の「君が愛せし綾藺(ちゃゐ)笠」という表現の伝統は、守りたいものだと考える。次の二首は「短歌現代」の今年の三月号作品。

  竜巻の通過しし跡まざまざと屋根剥(は)きとられつづく家々
  数万の雀が塒(ねぐら)しし公孫樹(いちやう)葉の散りしかば雀らの来ず

 秋葉四郎氏の「竜巻禍」のなかから引いた。これもシシでなくセシを使うべきところなのである。

 シシと言うべきなのにセシとする例は、前月にも触れたが、これはもう枚挙にいとまなし。しかし、シシとセシは、実のところそれほどたやすく区別できるものでもない。「おはす」という動詞は、活用に問題があり、サ変と見れば「おはせし」だが、四段とすれば「おはしし」となる。「任す」「飲ます」「済ます」というような動詞は、口語でマカス・マカセルというように活用が二つになり、これは文語でも四段と下二段に分かれる。すると「任しし」「任せし」と、どちらを使ってもいいというような問題も出て来るのである。

                           (平成3・6)


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者


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