短歌雑記帳

「歌言葉考言学」抄


 真夜(まよ)、真日(まひ)、夜半(よは)

真夜さめてはつかに聞きし氾濫の枯草つなぐ森のソネット          林 善衛
真夜ひそかに歩み出でなむ美しきをみなぼとけを瞻りあやふし        森村 浅香

 右の二首は、今手もとにある平成六年版の「短歌」の短歌年鑑より引いた。どちらも「真夜(まよ)」という言葉を使っている。この「真夜」は、歌言葉としてはまことに平凡で、月々の歌誌にたやすく見つけられる用語である。それをなぜ取り上げるかと言えば、辞書に載っていないからだ。(“辞書に載っていない”に傍点)一般の辞書類は勿論、短歌用語辞典のたぐいにもなぜか出ていない。出ていなくても一向差支えないが、それにしてもどの辞書にも載せないというのはへんではないか。私が気づいた唯一の例外は、三谷昭編の『現代俳句用語表現辞典』(富士見書房)で、これには「まよ〔真夜〕 夜なか、深夜」と説明して、

鱶狩の真夜の舟出の灯をつらね      田辺夕陽斜

のほか二句が例外として挙げられている。俳句でも一般的に使われるのであろう。

 「真夜」は、単に夜、夜間の意に用いる場合もあるが、多くは「真昼」の対立語の如くに意識されてやはり「夜なか、深夜」として使用されているだろう。私の関係したある所の選歌のなかに「真夜に見る如月の空は黒ずみて刃物の如き月にをののく」の一首があり、作者が「夜なかに何気なく空を見ると・・・」と説明していた。そうすると「真夜」は、殆ど「真夜なか」と変らないことになる。

 この「真夜」が、いつ頃から一般的に使われはじめたのかは知らない。そんなに昔のことではあるまい。戦前の『新万葉集』に掲載された明石海人の「更へなづむ盗汗のころもにこの真夜を恋へば遥けしははそはの母は」などは、古い用例でもあろうか。こういう歌語や文字は、どうもひそかに早く伝染するものであるらしい。根拠もなしに言うのだが、俳句のほうは短歌から飛火したものではあるまいか。

 「真夜」のついでに「真日(まひ)」という用語についても触れておこう。「真日」は、万葉集に「何(あぜ)と言へかさ寝に会はなくに真日暮れて宵なは来(こ)なに明けぬ時(しだ)来る」(三四六一)という一首だけが出て来る。だから勿論、辞書にも載っている。近代以後の歌人の使用例も珍しくはない。三例だけ引く。

ま日中はいねこきくらしま夜中はいね刈りふかし寝らくともなし              島木 赤彦
しまし我は目をつむりなむ真日(まひ)おちて鴉(からす)ねむりに行くこゑきこゆ     斎藤 茂吉
雪原の真日(まひ)の明(あか)りに舞ひいでて白鷺の群かがやきにけり          木俣 修

 赤彦は、『馬鈴薯の花』以前の作。茂吉は『あらたま』、修のは『高志』より。茂吉、修作品は、太陽そのものの意に用いている。この「真日」の「真(ま)」は、「真昼」などと違って、単なる美称の接頭語である。

 さてもう一つ「夜半(よは)」という語につき、一言する。

夜(よは)すぎて旅のやどりもしづけかり寝処(ふしど)にちかく鯉跳ぬる音       斎藤 茂吉
夜(よは)にして思ふことありありがたき陽の脈搏の中を通りき              佐藤 佐太郎
夜(よは)に成れる原稿もちて寝しづまる道をゆくポストのあるところまで         木俣 修

 それぞれ『白桃』『地表』『去年今年』より引く。普通は「夜半(よは)」と書くのを(茂吉にしても大半は「夜半」である)ここでは、「夜(よは)」としている。

 岩波古典辞典を見ると「《平安・鎌倉時代、多くは和歌に使う雅語》夜。夜ふけ」として古今集の「風吹けば沖つ白波たつた山夜はにや君がひとり越ゆらむ」等を引き、能因歌枕の「夜中(よなか)をばよはと云ふ」という言葉を紹介し、更に起源的には、ヨヒ(宵)や、その母音交替形ユウ(夕)などと同根の語であろう、と説く。すると、ヨハは初めは夜全体または夜半を意味するものではなかったのである。しかし能因が「夜半をばよはと云ふ」と記しているならば、平安時代には既にヨハ即ち夜中と考えられていたのだろう。そしてヨハと夜半という漢語の音が結びついて「夜半(よは)」という表記が用いられるようになったものか。

 今、辞書類を調べると「よは」は、殆ど「夜、夜半」と説明する。しかし夜と夜中では意味にずれがあり、感じも違う。古今集(伊勢物語にも)の「夜はにや君がひとり越ゆらむ」は、単なる夜なのか、夜半なのか。日本語は、こういうところは確かに曖昧で、それは「真夜」が、夜とも真夜中ともなるのと同様である。

 歌を作りはじめた頃、茂吉らの「夜(よは)」という表記を見て、不審感を抱いたのであるが、この言葉の成立を考えれば、そして日本語の曖昧性を思えば別にあやしまなくてもよかったことだ。

 しかし右に引いた茂吉以外の歌人の「夜(よは)」も、意味合いとしては、夜半、夜ふけに近い語義を持つもので、ただの夜ではないようだ。


         筆者:宮地伸一「新アララギ」代表、編集委員、選者



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